大阪南港フェリー乗場


阪神淡路大震災が起こった時、京都に住んでたんですが、そのあとしばらく、京都〜姫路間の新幹線の運行が出来なくなっていたので、一度だけ、大阪南港からフェリーで北九州の実家に帰省したことがあります。
飛行機代をケチって、一晩かけて門司港に着いたのですが、雑魚寝の一番安いチケットだったので、確か4千円とか5千円とか、ものすごく安かった覚えがあります。
南海電車に乗ったのもその時が初めてでした。
一人だったし、寒い季節で、日も暮れて、何とも言えずもの寂しい気分だったのですが、テレビで久しぶりにあのフェリー乗場を見て、二年以上も逃亡して、あそこで掴まったのかと、妙にリアリティを感じました。


『ドーン』では、〈分人主義 dividualism〉に対応するテクノロジーとして、〈散影divisuals〉という監視カメラのネットワーク化と、一人の人間が、複数個の顔を持つことが出来る〈可塑整形〉というアイディアを書いたのですが、市橋容疑者の防犯カメラの映像がテレビのニュースでズラッと並べられて、それに整形前後の写真が加えられるのを見ていると、なんというか、「ドーン1.0」みたいな感じがしました。
〈散影〉のアイディア自体は、実は『決壊』を書いていた時に思いついたのですが。


彼の父親が、謝罪の一方で、自分たちにとっては良い息子だということをしきりに繰り返していたのですが、実際、そうなんだと思います。僕の言っている「分人(ディヴ)」というのは、そういう話です。他方で、殺害されたリンゼイさんに対する彼もまた、一つの紛れもない「分人」です。結局、取り返しのつかないようなことをしてしまう分人を抱え込むと、自分の中の他のすべての分人を台無しにしてしまうことになります。


逆に、リンゼイさんのご遺族は、彼女のための自分のディヴを、今後、彼女を失ったまま抱き続けることになります。こんなに悲しいことはありません。
生きていれば、明日、彼女が何かを言い、笑ったために、家族は、その彼女のための自分のディヴが、瑞々しく、新鮮に更新される経験を持つことが出来ます。そして、彼女が自分のために持っているディヴが、自分の語りかけたほんの些細な言葉によって、生き生きと更新されるのを実感する感動を得られたはずです。


殺人は、一人の人間を殺すだけじゃなくて、殺された人と親密な関係を持っている全員の、その人向けのディヴまでをも中断してしまうことです。そんな権利は、誰にもありません。
殺人を否定する分人主義的な倫理です。

プロジェクトCも!


うっかりしてましたが、来年に向けて、プロジェクトCも実は進行中です。
こちらは種明かしすると、ChopinのCです。
何度か、ブログにも書きましたが、来年は、ショパン生誕200周年ですので、CDやコンサートなど、『葬送』がらみで、幾つか面白い企画があります。
こちらも追々、発表していきます。
どうぞお楽しみに!


それにしても、もう11月! 来年も目前だというのに愕然とします。
その他のコラボレーション系の企画としては、プロジェクトYとか、Mとか、あっと驚くようなものが、幾つかあります。
もちろん、本業の『かたちだけの愛』の連載→単行本化もご期待ください。
これまで準備してきた「前置き」が、物語の後半に向けて、全部意味を持ってきます。
一日二枚ちょっとという切れ切れの展開の中で、全体像を掴みかねていた読者の皆さん、これからです!!
とはいえ、単行本化の際には、若干、前半部分を整理する必要も感じていますが。


話は変わりますが、『ドーン』の取材で、去年はテキサスに行ったので、米軍基地での乱射事件が、妙に生々しく感じられました。
最近、WIRED VISIONに「青少年の75%が軍に不適格:「肥満」「軟弱」が急増」http://wiredvision.jp/news/200911/2009110521.html という記事が出ていましたが、体力的に戦争ムリというのは、生物としては正しい方向に進化していってると思います。

プロジェクトD


映像作家の森野和馬さん、慶応大学 環境情報学部環境情報学科の中西泰人さんと、東京都現代美術館のキュレーター森山朋絵さんの肝煎りで、「プロジェクトD」(!)を立ち上げました。
中西さんとは、東京都写真美術館の「文学の触覚」展以来のおつきあいです。
森野さんには、今回初めてお目にかかりました。ケン・イシイさんのPVや井上陽水さんの「花の首飾り」(美しすぎる!)のPVなどでご存じの方も多いと思います。
ちなみに、森野さん、これを機に、はてなブログを始められました。http://d.hatena.ne.jp/kazumaM/
iphoneの新作アプリケーションなども発表していかれるようです。


何のプロジェクトかというのは、これから追々、ご紹介していきます(笑)。
2月完成予定ですので、そんなに時間はないのですが。僕は、大きく関わっているのですが、作業的にはお二人の方が大変です。
素晴らしい作品になると思いますので、乞うご期待!


31日に、クラシック・ギタリストのジョン・ウィリアムスのコンサート(@すみだトリフォニーホール)に行ってきました。
ディア・ハンター』のテーマ曲「カヴァティーナ」を弾いた人なんですが、今回は、プログラムに記載されているにもかかわらず、演奏しないままステージを降りてしまったので、あー、あればっかりみんなが聴きたがるから、ウンザリしてんのかなとか思ってたら、拍手の最中、苦笑しながら出てきて、「すみません、『カヴァティーナ』、弾くの忘れてました。。。」と、アンコールで演奏しました(笑)。
クラシック・ギターに興味が無くても、映画が好きな人は、「カヴァティーナ」一曲のためだけでも行く価値があるのでは、というようなことを、僕は他のところで書いていたので、演奏してくれて良かったです、ホント。


全体的には、さすがというか、本当にギター界の「ミスター・パーフェクト」という感じで、音といい、演奏といい、抜群の安定感でした。
この人、一頃、フュージョンっぽいこともやってたんですけど、今回、プロフィールを見てたら、二年前にジョン・エサリッジとアルバムを出してるんですね。どういうつながりなのか。聴いてませんけど、驚きました。
アラン・ホールズワースの後任ギタリストとしてソフトマシーンに加入した人、と言って、ピンと来る人、どれくらいいるんでしょう(笑)? ソフトマシーンの歴史の中では、ほぼ黙殺されている時期ですが。

バス停で『決壊』


今日の夕方、新宿通をタクシーで通りかかったら、バス停で立ったままバスを待っている女性が、『決壊』を読んでいるのを見かけました。下巻だったので、かなり、険しめの表情でしたが、気に入ってくれたのかどうか。。。
意外と自分の本(しかも、ハードカヴァー)を読んでいる人と、街中でバッタリ出くわす機会がないので、思わず目を見張りました。


……というか、デビューして早11年、電車に乗って、隣の人が自分の小説を読み始めたら、どうしようと色々シミュレーションをしてきたのですが、未だにそんな場面に遭遇したことはありません。
急に声をかけるのもヘンですけど、黙って隣に居続けるのも、微妙というか。。。
特に新幹線とかだと、時間も長いですし、気が気でないでしょうね。首を捻って、本を閉じられたりしたら、やっぱりショックなのか。で、そのあと僕に気がついた向こうも、それはそれで気まずいのか。
ダン・ブラウンとか、世界中の空港で本が売られている人なんて、どんな気分なんでしょう? ファーストクラスに乗るから関係ないのかな。


一応、僕の結論としては、寝たフリをすることにしています(笑)

アーヴィング・ペン


クローズアップ現代』は、再放送も反響が大きく、前回のエントリーにも、たくさんのブックマークのコメントやトラックバックを寄せていただきました。ありがとうございました。
少しでも多くの人が、あそこで扱われた問題を知るきっかけになれば、と思っています。
HP経由でいただいたメールもすべて目を通しています。
反応の内容について、取材クルーとも、改めて話してみます。


政府の「緊急雇用対策」で検討されている「ワンストップ・サービス」は、まさしく前回提案したことの一つですが、制度を作るのと同時に、広く認知されることが大事です。名称も工夫する必要があると思います。

http://www.asahi.com/politics/update/1021/TKY200910210510.html



話は変わって、少し前のことになりますが、アーヴィング・ペンが亡くなりましたね。
僕はアヴェドンの方が断然好きなのですが、『Platinum Prints』という写真集は、よく眺めました。
今気がついたのですが、これ、イェール大学出版なんですね。


石岡瑛子さんの『私 デザイン』という本には、マイルスの『TUTU』のジャケット撮影の時のエピソードが書かれていて面白いです。スタジオで音楽をかけてくれというマイルスと、音楽なしで静かなまま撮影したいというペンとの緊張感溢れるやりとりが記されています。
あと、マイケル・ジャクソンのコンサートに行って、対抗心を燃やすマイルスの様子なんかも、ファンの心をくすぐるさりげない一節です。


私 デザイン

私 デザイン


仕事で京都に行って、駅で例のミシュランガイドを買ったら、「岩さき」というお店の住所が微妙に間違っていました。「釜座通御池下る」となってますが、「上る」です。編集部に教えてあげましたけど、行かれる方はご注意を。
以前住んでいたマンションの近所なので、よく前を通っていたのですが、僕はまだ入ったことがないお店です。
自分の原稿の誤植はなかなか気がつかないのですが、人の本だとよく気がつきます。「スロー・リーダー」ですから(笑)。
京都・大阪編は、取材拒否のお店も多かったみたいですね。確かに、「アレ、あそこは入ってないな」というようなお店が幾つかありました。
それにしても、10年も京都に住んでいながら、知らないお店の多いことに唖然としました。


24日は、金沢21世紀美術館横尾忠則さんと対談です。
お近くの方は、どうぞ、お越しください。
新作の水の波紋シリーズも、素晴らしいですよ。エネルギーに充ち満ちています。

『クローズアップ現代』再放送


10月7日放送の『クローズアップ現代』「“助けて”と言えない〜いま30代に何が〜」にコメンテイターとして出演したのですが、放送後の反響が大きく、急遽、明日10月12日(月)の午前9時30分から再放送されることになりました。
同番組では、今年度一番の視聴率(17.9%)だったそうです。
見逃した方は、是非ご覧ください。
内容は以下の通りです。

今年4月、福岡県北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。いま、こうした命に危険を及ぼしかねない状況に陥っても、助けを求めない30代が増えている。彼らは「家族に迷惑をかけられない」「自分で仕事を見つけ、何とかする」と誰にも相談できずにいる。家族、友人、地域との繋がりを断ち切り、社会から孤立する30代。番組では、厳しい雇用情勢で先行きが見えないなか、静かに広がる「助けて」と言えない30代の実像に迫る。


若い世代の失業問題はこれまでも取り上げられてきましたが、「“助けて”と言えない」という複雑な心理に焦点を当てたところに、制作スタッフの取材の丁寧さを感じました。


非常に深刻な内容のVTRに対して、スタジオでコメント出来る時間は、3分×2回程度と限られていましたので、切りつめた形でしかお話できませんでしたが、対策に関して、システム面とメンタル面との2点について補足しておきます。社会の構造的な問題の対策はまた別ですが。


まず、システムの面ですが、新政権の失業対策では、とにかく、窓口の一本化、単純化ということを実現してもらいたいです。
犯罪に巻き込まれれば、誰でもすぐに110番しますし、人が倒れれば救急車を呼びます。そういうことは、どんなに混乱していても、一秒以内に思いつきますし、抵抗なく決断できます。
失業に関してもそうであるべきです。
自分が失業しても、人から失業の相談を受けても、とにかくあそこに行け、という場所を一つだけ作って、それを徹底して周知させるべきです。で、そこで、経済的な支援、再就職の支援、精神的な支援など、必要なサーヴィスの一切を自動的に受けられるようにします。相談者一人一人について、カルテのようなものを作って、各担当者がそれを共有すれば、再就職に向けての総合的な対策を、個々のケースに応じて検討することが出来ます。
ただでさえ、精神的に追いつめられている時に、相談者が、自分でどこに行くべきかを判断して、あちこちに足を運ばなければならないというのは負担が大きいですし、それぞれのセクションの担当者が相互に情報を共有していないというのも問題です。


僕は今、読売新聞の夕刊に連載している小説で、リハビリテーションをテーマの一つにしています。
たまたまですが、僕とジャズ本の共著がある小川隆夫さんのご専門です。
リハビリテーション医学が社会的に必要となったのは、第二次大戦後、傷痍軍人の社会復帰が、アメリカで深刻な問題となったからです。
従来の治療という発想では、たとえば、怪我が治癒すればその時点で終わりです。ところが実際は、たとえば足に障害が残ったりする大怪我であれば、その状態から、社会に労働力として復帰するまでには、非常に大きな距離があります。その、従来、当人任せにされていた復帰へのプロセスに、医学的に対処しようというのが、リハビリテーションの発想です。


僕は、失業についても同様に考えるべきだと思います。失業を一つの大きな「怪我」だとすると、そこから自力で社会復帰しろなどというのは無茶な話です。出来る人もいるでしょうが、有効求人倍率0.42倍という現状で、そういう人を「標準」にすべきではないです。
再就職に至るまでの社会的なリハビリのプロセスは、公的なサーヴィスが担うべきで、その仕組みを早急に整備すべきです。


メンタル面では、『ドーン』に描いた「分人主義(ディヴィジュアリズム)」という発想について言及しました。用語の目新しさに抵抗があるかもしれませんが、これまでなんとなく人が知っていたことを、整理して考えるために、「個人主義(インディヴィジュアリズム)」に対置して、あえて造った言葉です。


「個人」の中には、対人関係や、場所ごとに自然と生じる様々な自分がいる。それを僕は、「本当の自分が、色々な仮面を使い分ける、『キャラ』を演じる」といった考え方と区別するために、「分人(ディヴ)」と言っています。


好きな友達や家族の前での自分は、必ずしも「演じている」、「キャラをあえて作っている」のではないし、逆にあわない人間の前では、イヤでもある自分になってしまうわけで、人間が多様である以上、コミュニケーションの過程では、当然、人格は相手ごとに分化せざるを得ません。その分人の集合が個人だという考え方です。詳しくは、『ドーン』を読んでいただきたいのですが。


会社や学校でうまくいっていないとしても、それを自分という人間の本質的な、全人格的な問題と考えるべきではないです。そうした場所や対人関係の中で生じた分人だと、分けて考えるべきです。極端な例を言えば、僕でもアフリカの紛争地帯に行けば、そういう環境での分人を生きざるを得ないと思いますが、その状況でも、ネットで日本の友人とやりとりする時には、その人との分人を生きることが出来ます。


その上で、自分の中の分人の比率、バランスを考えることです。対人関係や場所の分だけ、分人を抱え込むことになりますが、好きな、居心地がいいというか、「生き心地がいい」分人をベースにして生きていくべきだと思います。


生きていくためには、やっぱり、自分が好きだという感情がどうしても必要ですが、漠然と自分を好きになれと言われても難しいことです。しかし、誰といる時の自分は、結構、言いたいことも言えて、笑みもこぼれて、嫌いじゃないというのはあると思います。その自分、そして、その関係を最低限の足場にして生きていけば、他の場所で生じた分人が難しいところに陥っていても、自分を全否定する必要はなくなりますし、その分人をどうすべきか、客観的に考えてみることが出来ます。
人に“助けて”と言うことを、自分の全存在を“助けて”という意味だと考えると、受動的な感じで、心理的な抵抗があると思いますが、自分の中で、難しい状況に陥っている部分を“助ける”のに手を貸して欲しいということだと考えれば、それは、積極的な態度ですし、抵抗が和らぐのではないでしょうか。少なくとも、僕はそう考えるようにしています。



あとはやっぱり、過去と現在との因果関係の牢獄にはまりこんでしまわないことです。
未来の方から現在を考えて、何をすべきかを考えるべきではないでしょうか。
何歳であっても、残りの人生をよくすることを一番に考えるべきです。

『王様のブランチ』


明日の『王様のブランチ』(TBS)のBOOKコーナーにゲスト出演します。
仕事場の掃除はそのためでした(もう一件、『中央公論』の「私の仕事場」の撮影もあったのですが)。
『ドーン』についての話がメインですが、その他、色々といった感じです。
たくさん喋ったので、どのあたりが使われるかは分かりませんが、撮影スタッフもリポーターの女性もみんな親切でした。


休日の朝一にうっかり目を覚ましてしまった方、チェックしてみてください(笑)。
放送は首都圏を中心とした地域だと思いますが。