「世界観」と「世界感」


『かたちだけの愛』の刊行記念サイン会には、たくさんの方にお越しいただき、ありがとうございました!
既に読了された方からの感想も、続々と届いておりまして、うれしい限りです。


僕の小説は、テーマには連続性がありますが、作風は一作ごとにかなり違います。インタヴューでもよくそのことを質問されますが、重要なのは、「世界感」だと思います。今日はそんなようなお話です。


「世界観」というのは、誰それの「世界観」が好き、とよく言うように、作者のものの見方、世界のイメージです。もちろん、読者にもそれぞれの世界観がありますから、「あの作家は自分と世界観が近い」というような言い方が出来ます。あえて言えば、作者の思想です。


それに対して、「世界感」(造語です)とは、作品が自律した一つの「世界」として受け止められる感覚のことです。その意味では、思想と言うよりは、表現上の問題です。
「世界観」の表現が「世界感」とも言えます。
「世界観」は面白いのに「世界感」に乏しい、というのは、考えていること、持っているイメージは面白いのに、表現として、それが固有の「世界」であると感じられるほど完成されていない、ということです。


「世界感」を生み出す上で重要なのは、当然、文体ですが、僕の場合、その作品に相応しい音楽が聞こえてくると、目指すべき雰囲気が見えてくることが多いです。
『葬送』では当然ショパン、『かたちだけの愛』は、ラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章で、『決壊』では、執筆中ずっと、騒音のような完全な無音を聴いていました。


もう一つは、扱われているテーマと個々の表現とが、発想において同根だということです。
例えば、『葬送』では、ショパンの音楽とショパンの人物像とが合致するように気を遣いましたが、その際に、ショパンの音楽の#や♭といった変記号を少しずつ増やしていきながら、気がつけばものすごく遠い転調がなされているという特徴に注目して、彼の気分の移ろいを表現する場面で応用しました。
明るく、楽しそうな場面から、真反対の、暗く孤独な思索へと至る過程で、少しずつ異質な言葉を織り込んでゆくような方法です。それから、彼の音楽の装飾音だとか、レガートだとか、そういうことを全体に意識しました。


また、他方でドラクロワも主人公ですから、彼の作品の構図を、小説全体の構造と重ねたり、印象派の先駆けとなるようなその色彩理論を心理描写に応用したりしました。
複雑な心理を描写する際に、複数の色(心理)を混ぜ合わせて、鮮やかさを殺いでしまう、曖昧模糊とした減色混合的な描写ではなく、加色混合的に、個々の心理を一つずつきれいに分けて、明示的に、併置してゆく方法です。
(加色混合、減色混合については、非常にわかりやすいサイトを見つけました。
かなりゆるい感じですが、お暇な時にどうぞ。 http://www.krcom.co.jp/color-story/komoku1.html )


『かたちだけの愛』では、「陰翳礼讃」がテーマの一つになっていますので、場面毎の明暗のコントラストの付け方に気を遣いました。全体を俯瞰すると、明部と暗部とがよくわかると思います。
それから、人間と人間との関わり、一人の人間の中の複数の分人の相互作用が、「陰翳のあや」として可視化されるような描き方を工夫しました。
全体としては、やはり、愛することの「喜び」と「哀しさ」の「陰翳のあや」でしょうか。


こういう諸々を通じて、個々の作品の「世界感」が醸成されています。
まぁ、作者が試みていることがどれくらい効果的かは、厳密にはなかなかわかりません。ここに挙げたのはほんの一例で、その他にも、色んな工夫があります。それらが絡まり合って、ある作品の「世界感」に寄与しているのでしょう。
僕の小説に限らず、そんなようなことを気にしながら本を読んでみると、新しい発見もあると思います。


かたちだけの愛

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