電子書籍としての小説


サイン会などで、よく、もっとブログを更新してください、と言われるのですが(笑)、twitterは、なぜかほとんど毎日、続いています。https://twitter.com/hiranok 
仕組みが分からないと、見づらいと思いますが、僕は解説書を読んでよく分かりました。


ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)

ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)


瀬戸内寂聴さんがケータイを始められた頃、メールを初めとする諸機能を楽々使いこなされているので、失礼ながら、スゴイですね、と言うと、説明書を最初から最後まで全部読んだとおっしゃってました。「わたしは小説家だから書いてあるものを読めば分かるのよ。」とのこと。
ネット上にも、今はtwitterの解説は色々ありますが、やっぱり本の形になっていると理解しやすいです。


来年は、電子書籍元年となりそうな雰囲気で、出版業界は激動の時代に突入しています。11年前、デビューした頃には、まさかこんな時代が来ようとは、想像だにしていませんでした。
今年のフランクフルトのブックフェアでは、各国の出版関係者を対象に、電子書籍の売り上げが、紙の本の売り上げをいつ上回るかというアンケートが行われたのですが、結果は、「2018年」という予想でした。先日来日した、ロシア人作家のオリガ・スラヴニコワさんは、ロシアでは10年後(2019年)と言われている、と話してましたが。これを早いと感じるのか、遅いと感じるのかは、どの業界にいるかで随分と違うと思います。
僕自身は、もっと早く進むような気もしていますが。


小説は、もし完全にネット上の存在になるとすると、外部リンクだとか、BGMだとか、挿絵的な画像や動画の添付だとか、出来ることは無限に広がりますが、逆に収拾がつかなくなるでしょうね。そういう諸々の要素を、プロットだけがつなぎ合わせている作品が出てくると思います。
長期的に見れば、単に今の紙の上での小説の形を、そのままウェブ上に移し替えるだけには止まらないはずで、特に、最初からウェブ上で小説を読み、書く習慣が身についた世代が作家になる頃には、七面倒くさい情景描写をするくらいなら、画像貼った方が早いじゃんと思う人も出てくるでしょう。まあ、それは、いわゆる「小説」というカテゴリーとはまた別のミクスチャー何とか、とか呼ばれるのかもしれませんが。


実際、小説家のコラボレーションのあり方として、映画のような二次使用ではなく、最初から映像作家やミュージシャンと一緒に、物語と映像、音楽とが一体になった作品を作るという可能性はあると思います。今のアニメともまた違った、「総合芸術2.0」みたいな。あと、ネット上の画像や動画を拾い集めてつなぎ合わせた、マックス・エルンストの一連のコラージュ作品(『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』や『百頭女』)みたいなのとか。もうあるのかもしれませんが、よほどのクオリティじゃないと、感心されない気もします。
詩的に美しい作品を見てみたいものです。


僕は、基本的には文章の小説家であり続けますが、今のプロジェクトDみたいに、並行してそういうことが出来れば、それはそれで楽しそうです。ウェブ・マガジンの企画なんかで、すぐにでも持ち上がりそうな話ですが。