「大きなシステム」の決壊


ご無沙汰してます。
書くことが盛り沢山な時ほど、忙しくてブログが書けません。。。
先月はまず、ニューヨークとヒューストンに取材で行っていて、帰ってからは、年末〆切の小説に精を出しつつ、ちょこちょこした仕事を片づけて、月末から一週間ほど、今度は、東アジア文学フォーラムに出席するために、ソウルに行ってました。
ものすごく色んなことがあったのですが、そのうち、ネタがない時にでも思い出しつつポツポツ書きます。


それはともかく、このところの世界的な株の暴落は凄まじいですね。
ソ連崩壊後のアメリカの世界暫定チャンピオン時代が、一つの区切りを迎えようとしている印象です。

僕は、サブプライム問題と中国のメラミン入り牛乳問題とは、同時代的な現象だと思っています。
物流と情報との世界的なネットワークに接続されている僕たちが、不可視の彼方から「『牛乳』です」と運ばれてきたものを「牛乳」と信じ、「AAA」と格付けされていたファンドを「AAA」だと信じるのは、システム上、シニフィアンに対して、シニフィエの「純度」が保証されていると思っているからで、そこに「牛乳」じゃないものが混ざり込んでいたり、サブプライム・ローン債みたいなメチャクチャなものが混ざっていたりするとはよもや考えません。ところが、それを信じることにはあまり根拠がなかったというのが、今回の話です。
今の中国人は、「牛乳」を前にして、それがリアルかフェイクかということに、ほとんど反動的に厳密な差異を認めるでしょう。


サブプライム問題は、真−偽、本質−見かけといったロマンチックな二項対立ではなくて、「混じりけ」の問題だと思います。何かが不可視化されて、混ざっているという感覚。これは、『決壊』の登場人物達の問題と、実は重なるのですが。


その『決壊』の中にも、90年代後半のグローバリゼーション以後、地球の「一個性」という身も蓋もない事実が問題となるという話を書きましたが、「大きな物語」ではなく、「大きなシステム」によって一個化してゆく世界は、どこかが決壊すると、その波及が止めどもなくなってしまうという危険を孕んでいます。全滅を食い止めるためには、関係各国が、やはり一個的な対策を採るしかないわけで、それが一応は可能というのが30年代の大恐慌とは違う点だという話ですが、あんまり安心できないですね、そう言われても。。。