久々の更新です。
8月は、ちょこちょこした色々な仕事に追われて、なんとなく多忙です。
一つ一つの仕事は、やりたい、あるいはやるべき、やった方がいいと思って引き受けているのですが、続くとストレスが溜まります。それは、本業の方が進まないからなんですが。
そろそろ、年末〆切の書き下ろし小説の執筆に本腰を入れようと思っています。
『決壊』刊行後、この一月半ほどの間に、数多くの感想と接することが出来て、改めて色々なことを考えました。
とりわけ、終わり方については、様々な意見がありました。
あれをどう解釈するかは、もちろん、個々の読者に委ねられていますが、作者としては、もう一度、「決壊」というタイトルとあわせて、最後の一文を読み直してもらいたいなと何度か感じました。何が起こっているのか。
一般に、自殺する人間に対して、生きたくないヤツは勝手に死ね、みたいなバカなことを言う人がいますが、自殺した人間が、本人の意思として「生きたくなかった」などとどうして言えるのか。
死ぬことで自分を壊すのか、それとも、自分でもどうしようもなく壊れてしまった結果、死ぬのか。単純にそのいずれかとは言えませんが。……
状況を問わず、とにかく生き残れという戦中的な発想が僕は嫌いです。
生きようとする意思は尊重すべきですが、現状そのものに問題があり、システムに明らかに幾つもエラーがあるのに、それを直視して、修復することを考えるのではなく、その条件下でとにかくがんばれと言うのはナンセンスです。
『決壊』で僕がやったことの一つは、どんな形であれ、暴力をヒロイックに描き出すということを拒絶して、それを徹底して「イヤなもの」として描くことです。
単純ですが、僕は基本的に「暴力反対」です。
『葬送』のように、困難な状況の中で、何事かに熱心に取り組んで生きようとしている人間の姿は、深い愛情を以て美しく書きたい。けれども、僕自身が、こうあるべきじゃないと感じ、考えていることについては、醜くしか書きようがないです。
まぁ、それは、あんまり倫理的な面に偏った自作解説で、小説としてもっと見てもらいたいところは色々ありますが、いずにせよ、小説というものが、必ずしも『決壊』のようであるべきだとは考えません。
笑い転げて終わるのも小説。言葉のおもしろさを堪能するのも小説。神話的な英雄が活躍するのも小説。……というわけで、僕自身も、もっとrelaxin'な小説も書きたいと思っています。
写真は、今月の初めに、北海道に行ってきた時のものです。
今年から、東川賞という写真の賞の審査委員をしているので、その表彰式に出席してました。
上は、車の中から取ったもので、なんとなくポジティヴな気持ちになれそうだったので選んでみました。
下は、話題の旭山動物園です。こっちは、なんとなく、軽やかで、柔軟な発想が芽生えそうでしたので(笑)