未来はなんで、ドラえもんを必要とするのか。


6月8日にABCで、大澤真幸さんと対談することになっていて、今、『〈自由〉の条件』を読んでいます。まだ途中で、非常に面白い本なのですが、今書こうとしているのは、全然本筋と関係ない、ものすごく末節的な話です。


本の注の中で、立花隆さんがインターネットをドラえもんの「どこでもドア」に喩えているという話が出てくるのですが、むしろ、「四次元ポケット」という設定自体が、ネット的だなという感じがします。そう考えると、のび太の時代はともかく、未来の社会が、そもそも、なんでドラえもんのようなロボットを必要としていたかということが納得できます。AIBO的な愛玩ロボットという側面は意匠に過ぎなくて、あれは、家庭用の商品検索ロボットだったんですね。そして、ドラえもんは、ver.どれくらいか知らないですけど、多分、あんまり検索性能が高くない機種で、そのために、のび太が何を欲しているのか、ということに対して、必ずしも適切な商品を検索できていません。「どこでもドア」を出せばいい時に、「タケコプター」を出してしまったり。
そうやって考えると、夢のロボットというより、急に実用性が際立ってきます。
寓話的なマンガは、時代ごとにその意味合いが更新されていきますね。単に僕の解釈に過ぎませんが。


ただ、高度経済成長期には、まだ、同一商品内部の細分化、差異化が今ほど進んでいなかったので、○○社製の「どこでもドア」の方が、××社製の「どこにでも行けるんですドア」よりも、性能が良いとか、そういう話にはなりません。今の商品検索では、むしろそれが重要ですが。
まぁ、子供が読むマンガだから、そんなことはどうでも良いんでしょうけど。


……というか、どうでも良いことを考え出すと、仕事が手につきません。書いてちょっとはスッキリしたのか。。。