『顔のない裸体たち』刊行迫る!


年始の決意は何処へやらで、また更新が滞ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今年は花粉が少ないので、例年になく気分良くこの季節を過ごしています。
もっとも、僕は杉より檜の方が辛いので、これからなのですが。。。

さて、『顔のない裸体たち』が、いよいよ、3月30日に新潮社から刊行されます。価格は1365円で、160ページです。原稿用紙で230枚程度ですから、楽に読める分量なのではないでしょうか。このくらいの本は、久しぶりです。
この小説については、先日、プレス向けのパンフレットに紹介文を書いたのですが、それがよくまとまっているので、ここにも掲載しておきます。

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 “裸体としての小説”
             
 私がこの手のものに興味を持つようになったのは、人からその手のサイトを教えてもらったからだった。
 最初に見たのは、白昼の小学校のグラウンドで、体育の授業をしている子供たちを背に、素っ裸の女がひとり、こちらを向いて立っているというものだった。モザイクで顔は隠されていたが、よく見ると表情は笑っていた。これは一体、何なのだろうというのが、最初の率直な感想だった。
 それから、スケベ心も手伝って、その手のサイトを色々見てまわったが、しまいには、満足したというよりもグッタリ疲れ果ててしまった。そして、そのことに意味がある気がした。
 私は結局、最初に見たあの「小学校と裸の女」という組み合わせに、一番心惹かれるものがあって、もう一度それを探してみたのだが、その時にはもう、その写真は消えてなくなっていた。小説の着想を得たのは、恐らくこの時である。
 顔とは何だろうか? 顔さえなければ、人は自分のすべてを他人の前にさらけ出すことが出来るのだろうか? そのさらけ出したものが、本当の自分なのだろうか? そしてその時、置き去りにされた顔とは、一体、何だろうか?――
 雑誌掲載時の初稿を読んで、かなりみだらな場面が多い小説だが、意外にも、男女どちらの読者も、私にこっそりと、自分のことのようだと感想を漏らした。臆病な私は、それを聴いてようやくほっとしながら、そう、ここに描かれている男女は、どちらも多分、私なんですと告白した。

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そもそも、この小説は、前作『滴り落ちる時計たちの波紋』収録の「最後の変身」の姉妹編として構想されたもので、前回は、一人称の饒舌な告白体というスタイルで書かれたのに対し、今回は、主人公を男女二人にして、三人称の比較的抑制を効かせた文体で書いてあります。
僕の本というと、何時も「漢字が難しい」と言われますが、実際のところ、本当に難しい漢字が使われている作品は『日蝕』と『一月物語』だけで、これは、枚数的には、僕がこれまで書いた全原稿の中、せいぜい十分の一程度の量です。そう、僕のほとんどの小説の漢字は難しくないのです!……というわけで、今回も、漢字はもちろんのこと、文章も少しも難しくありません。これは、雑誌掲載時に読んでくれた誰もが口を揃えて言うことですので(「これなら平気!」とか、……)、ひとつ、あまり構えずに気楽に手に取ってみてください。

内容的には、上記の通りですが、なんとなく、イヤらしそうで面白そう(!)というご興味のある方から、「わたし」って一体、誰なんだろうと常日頃気になっている方、さらにはネット時代の主体概念の変容というマジメなご関心をお持ちの方まで、幅広く楽しんでもらえるはずです。
サイン会もありますので、その時にでもお会いしましょう