web2.0的世界において、「名誉」を守るということについて

 普段、なかなか、このメッセージ欄も更新されないので、たまに何か書くときには、せめて明るい、希望に満ちた話をしたいが、今日の話題は、私がこの6年間、一度も語ってこなかった極めて不愉快なとある出来事についてである。内容が内容だけに、冷静に書くことは難しいが、それでも私は、今という時は、これについて語る時だと考えている。

 きっかけは、wikipediaだった。私は普段、何かについてネットで調べようという時、恐らくは多くの人と同じように、直接wikipediaに飛ぶということはなく、大体、検索してみて、ついでに引っかかったwikipediaも見てみるというくらいである。内容は、今はまだ玉石混淆で、非常に洗練されたレヴェルに達している項目もあれば、あまり有益な情報が掲載されていない項目もある。当然のことながら、私は自分の名前を検索することはないから、wikipediaの自分の項目がどうなっているのか、ずっと知らなかった。
 つい最近になって、私は知人の忠告から、wikipediaの「平野啓一郎」の項目を見てみたのだが、そこで目にしたのは、極めて不快な事実だった。最初の私についての極当たり障りのないプロフィールに続けて、次のような記述がある。

佐藤亜紀『鏡の影』と『日蝕』の内容酷似問題 1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が、1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤亜紀の『鏡の影』と「内容が似ている」ことが問題となった。平野が『日蝕』で芥川賞を受賞すると、新潮社側は佐藤亜紀が執筆していたウィーン会議を題材にした作品の雑誌掲載を拒否し、同社から刊行されていた『鏡の影』、さらには佐藤の小説『戦争の法』を絶版とした。佐藤は、新潮から刊行した第3回日本ファンタジーノベル大賞の受賞作で、彼女のデビュー作でもある『バルタザールの遍歴』の版権を新潮社より引きあげ、この作品も絶版となった。現在、佐藤のこの3作品は、他社より刊行されている。 佐藤亜紀によるこの事件の経緯は、佐藤 のウェッブ・サイト「新大蟻食の生活と意見」内にある「大蟻食の生活と意見」のNo.13「『バルタザールの遍歴』絶版の理由」に詳しい。】(2006.9.14 pm15:14現在)

 一読して、利用者は『日蝕』が、佐藤亜紀氏の『鏡の影』という小説の「盗作」であるかのような印象を受けるだろう。言うまでもなく、これは事実無根である。私はここにはっきりと言っておくが、私はこれまで佐藤亜紀氏の小説を1行も読んだことがないし、また今後も読むつもりがない。佐藤亜紀氏本人についても、何の関心もない。従って、「盗作」云々は、あり得ない話である。

 そもそも、私が「佐藤亜紀」という作家の存在を知ったのは、『日蝕』で芥川賞を受賞した後、彼女が朝日新聞に短い書評を載せた時である。その時は確か、それぞれにジャンルの違う四人の評者があの作品について論じていて、その一人が中沢新一氏だった。中沢氏の批評は、一般に『日蝕』は、『薔薇の名前』に似ていると言われるが、エーコが一種の知的着地点を設定して小説を書いているのに対し、『日蝕』はむしろ、それなしに、ハイエロファニー(聖性顕現)をそのまま描いた作品であり、作者が好きだと言っているエリアーデの小説に近いのではないか、というもので、これは短いながら、今に至るまで『日蝕』について書かれた批評の中でも、私が最も嬉しかったものの一つなので、強く印象に残っている。
 この時、残りの二人が誰だったのかは残念ながら覚えていない。佐藤氏の書評もあまり記憶にないが、シニカルな批判的内容だったことは確かである。その時に、初めて私は、編集者に「この人、誰ですか?」と尋ねて、こういう人です、という略歴程度の簡単な説明を受けた。これが、私が「佐藤亜紀」という名前を認識した最初である。
 それから、確か、「SPA!」か何かで、福田和也氏と対談していた時に、やはり彼女が『日蝕』の批判をしていたのを目にしたことがある。しかし、断言しておくが、これらはいずれも、当時どこででも見かけた程度のありきたりな内容で、自作の盗作を非難するようなものでは決してなかった。これが、事件が起こるまでの私の「佐藤亜紀」に関する記憶のすべてであり、それ以外は何も知らなかった。

 だから、その後突然、彼女が自分のHPで、『日蝕』が自作の「盗作」であるということを言い出した時、私は正直、何がどうなってそういうことになったのかが、サッパリ分からなかった。今でも、その時の書き込みは彼女のHPで確認できるので、関心のある方は見られると良い。「盗作」という言葉の代わりに、「ぱくり」という言葉が使われているが、要するに同じことである。
 私は今回、その時以来、6年ぶりにこの一文を読み直して、改めて極めて不愉快になったし、憤りも覚えたが、その理由は、「盗作」疑惑などという、当時まだ、たった一作しか小説を発表していなかった新進作家の私にとっては、作家生命に関わるような極めて深刻な「言い掛かり」を浴びせておきながら、その客観的な根拠が「何一つとして」示されていないからである。曰く、

【誰かに、あれって佐藤さんの『鏡の影』でしょ、と言われたらどう庇おうかと思いましたが、幸い、当人が十分以上に注意深かったのか、或いは編集部にその辺を忠告する人がいたのか、なるほどあそこをこんな風に料理しなおしたんだね、と思われる部分はあっても、盗作事件の報道でよく見るように、作品Aの文章の抜粋とA'の文章の抜粋として比較対照できそうな箇所はありません。限りなく黒に近い灰色という線でしょう。】

 こんなお粗末な、何の根拠もない妄想の挙げ句、彼女は他人の作品に「ぱくり」などという卑劣な汚名を着せたのである。一体、どこがどう「盗作」なのか。それについての具体的な説明は一切なく、自ら、【作品Aの文章の抜粋とA'の文章の抜粋として比較対照できそうな箇所はありません】などと書いている。当たり前である。そもそも、「盗作」などという事実自体が存在していないのだから。そうして、この後に続くのは、新潮社とのやりとりを通じて彼女が邪推した状況証拠の列挙である。

 私はこの件に関して、当時新潮社と相談し、法的手段まで含めて対応を検討した。その過程で、当然に新潮社側の言い分も聞いた。それは、佐藤亜紀氏の見解とは食い違っているが、しかし、それについては私の与り知るところではないし、論評するつもりもない。いずれにせよ、一作家との関係をここまで拗らせているのだから、出版社として褒められたことではあるまい。しかしその両者の問題に、なぜか突然、私を結びつけたのは、彼女の「イタい」妄想である。あえて言うが、本が絶版になる理由は、売れなくなったからである。それは、その作品の価値とは必ずしも関係がない。古井由吉氏の傑作でも、売れなければ絶版になるし、ある時ひょっこり、文庫で復活したりする。それが昨今の出版状況であり、それに対して、そうしたロングテールに相当する良書を救済しようというような動きも出てきている。単純なことではないのか?

 「ある出版社が、『盗作』した新人作家を守るために、『盗作』された作家の作品をすべて絶版にし、出版界から抹殺する」というような都市伝説的な話が、一般の人にとってリアリティを持つのかどうか、私は知らない。しかし、ちょっとこの業界のことを知っていれば、これがいかにも「ありそうにない」話だということは容易に分かるはずである。そんな理不尽が、罷り通るはずがない。事実とすれば、私こそ、文壇から抹殺されていただろう。
 佐藤亜紀氏が語る新潮社とのやりとりの推移を見て、彼女に同情する人がいるのは分かる。しかし、その煽りを受けて、まったく身に覚えのない濡れ衣を着せられ、6年もの歳月を経た今日でさえ、根も葉もない屈辱的な噂を耳にせねばならない私の身にもなってもらいたい。
 処女作には、作家のすべてがあるという。私も勿論、そのつもりで、当時の私の全存在を賭して『日蝕』というあの作品を書いた。今のように、作家として認知され、その仕事に対して理解されていたわけでもない。同世代の誰もがそうであったように、私もまた、何でもないただの大学生であり、その不安に苛まれながら、自分とは一体何だろうか? 何のために存在しているのだろう? 自分の言葉は果たして人に届くのだろうか? という孤独な自問を繰り返しつつ、一語一語を絞り出すようにして書き綴っていった。あの小説を、単に頭で書いた作品だと言う人もいるが、何故そんなことを考えるようになったのか、という知的な活動の根源には、必ず個人の切実な問題があるはずである。そうした、作家にとっては一生にただ一度しかない掛け替えのない作品に対して、私は、【なるほどあそこをこんな風に料理しなおしたんだね】などという無責任な思いこみにより、「盗作」という屈辱的なレッテルを貼られたのである。
 彼女の無思慮な言動は、私を深く傷つけたし、私はそれを、金輪際、忘れることが出来ないだろう。

 私は、法的手段に訴えるということを、しかし、あまり真剣には考えなかった。名誉毀損で訴えることはできたが、そんなことをして、一体何が得られるというのだろう? そのために費やされる時間と費用、そして労力とは、無駄以外の何ものでもない。挙げ句に勝ち取られるのは、最初から分かりきっている「盗作は存在しない」という事実の司法による認定のみである。それならば、その同じ時間と費用、労力とを使って、私は作品を書き、発表したいと思った。それは、司法による認定などよりも、もっと有意義で、もっと決定的な形で、私が「盗作」などする人間ではなく、また「盗作」などする作家ではないことを証してくれるだろう。そして、私はこの判断が正しかったと確信している。
 他方、新潮社も、作家と関係を拗らせた挙げ句に、その作家を訴えるというようなみっともないことは出来ない、また、一企業である出版社が一個人である作家を訴えるということも、権力関係が明らかな以上、やはり出来ないと、私に告げた。私はそれがマトモな考えだと思ったから、その判断に同意した。

 それでも、この時もし、新聞や雑誌、テレヴィといったマスコミが、佐藤亜紀氏の主張の正当性を認め、これを社会的な問題として取り上げたならば、私は、彼女がどうこうというより、私自身の「名誉」のために、断固として徹底的に反論するつもりだった。その場合には、法的手段ということも検討しなければならなかったかもしない。
 しかし実際に、この一件を取り上げたのは、『噂の真相』ただ一誌であり、その内容は彼女の主張をそのままなぞっただけで、私に関しては、毎度のことだったが、経歴を含め、ウソしか書かれてはいなかった。
 このことが何を意味しているか、よく考えて欲しい。どの新聞も、どの雑誌も、どのテレヴィ局も、彼女の「主張」を受け容れなかったのである。真面目な関心からだけではない。当時、私は、「現役京大生が難解な文体を駆使した作品で芥川賞を最年少受賞した」と、かなりジャーナリスティックな取り上げられ方をしていたが、その作品が、「盗作」であったとなれば、これ以上面白い話はない。しかし、どんなメディアも、これを取り上げようとはしなかった。なぜか? 誰が見ても、ニュースにはしようがない、単なる「言い掛かり」であることが明らかだったからである。

 私は、社会のこの認識を以て、この一件は終わったと感じた。
 その後も上記の如く、佐藤亜紀氏のHPには、これについての記述が掲載され続けたが、私は、その削除を求めるつもりはなかった。私は彼女を、冷たい気持ちで軽蔑していたから、どんなささいなことであれ、関わりを持つのが嫌だった。と同時に、私は作家だから、内容がいかに愚劣であっても、人が書いたものを「消せ」と命じることは気が進まなかった。彼女の「言い掛かり」が、反論される水準にさえないものであるならば、それは最早、私とは何の関係もないものである。そんな文章を書いて、何時までも掲載しているというのは、彼女自身の品性の問題である。

 さて、こうした経緯の後に、私は、wikipediaの「平野啓一郎」の項目を目にしたのである。
 私は最初、問題の記述をさっさと削除してしまおうかと考えた。この記述には、訂正しようのないほどの致命的な事実誤認が幾つもあり、しかもそれを文脈ごと抱え込んでしまっている。まず、タイトルにある【内容酷似】という言葉だが、その「酷似」ということを証明した人は誰一人としていない。佐藤亜紀氏本人でさえ、何がどう「似ている」のか説明できないのである。また、【1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が、1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤亜紀の『鏡の影』と「内容が似ている」ことが問題となった】についても、これまで説明してきたように、正確には【「内容が似ている」と佐藤側が一方的に主張し、問題化しようとしたが、根拠もなく、誰にも相手にされなかった】とでもすべきだろう。【問題になった】事実はないのである。しかし、そうまでして、残さなければならない記述だろうか? 私が最初、訂正ではなく、削除を考えたのはそのせいである。それは、佐藤氏にとっても私にとっても、何の意味もない記述となるだろう。
 wikipediaは、こうしたことを考えた誰でもが何時でも訂正・削除できるようなオープンな仕組みになっている。原則的には、本人による訂正・削除の可能性を排除していない。削除については、先ほど佐藤亜紀氏に「消せ」と命じたくなかったというのとは、矛盾するように聞こえるかもしれないが、wikipediaの言葉は、削除の可能性を個々人が承知した上で書かれたものである。私には、両者は違うという認識がある。しかし、いずれにせよ、私はそうした振る舞いは、web2.0的な世界に対して、アナクロニックな態度だと考え直した。

 私は、この数年、インターネットというこの画期的に新しい世界のことについて、作家として自分なりに色々なことを考えてきた。ポジティヴに捉えている面もあれば、ネガティヴに捉えている面もある。小説にも書いたし、エッセイにも書いた。その中で、最も刺激的なイヴェントは、『ウェブ進化論』の著者梅田望夫氏との対談だった(これについては、「新潮」掲載分を更にヴァージョンアップして、新潮新書として刊行予定である)。
 私は、佐藤亜紀氏の件について、特に梅田氏と話したことはないが、ただ、梅田氏から、web2.0的な世界においては、積極的にネット空間に「言葉を発する」ことがいかに重要かということについて、説得力をもって教えられた。
 ネット以前の世界では、「人の噂も七十五日」である。不当な噂(=情報)を流されても、無視しておけば、時間がそれを淘汰してくれる。web1.0的な世界では、七十五日では消えない代わりに、情報は常に、特定の何処かの場所で、特定の誰かが発する言葉だった。佐藤亜紀氏の言葉は、彼女のHPを訪れた人が、彼女の見解として理解する。だからこそ、私はそれを、私とは関係のない、彼女自身の問題としてそのままにしておいた。しかし、web2.0的な世界はそうではない。そこで情報は、最早誰のものでもない匿名の言葉となり、匿名の知となって、世界中を駆け巡る。誤った情報を放置しておくと、単にそれが何時までも残り続けるというだけではなく、様々な人の手を経て増幅し、増殖する。クリックされる度に、検索サイトの上位に押し上げられ、コピー&ペイストでブログを行き来し、トラックバックで参照され、論評されたり印象が語られたりしながら、利用者の共通の認識として定着してゆく。その象徴的な存在の一つが、wikipediaである。

 wikipediaの「平野啓一郎」の項目の記述は間違っているが、その一因は、確かに、私のこれまでの「怠慢」のせいなのだろうと感じた。私の読者は、あるいはあれを不快に思って、訂正したいと感じたことがあるかもしれない。しかし、訂正の「根拠」となり得る私の側からの(あるいは新潮社の側からの)言葉はこれまでネット上に存在していなかった。私自身が勝手にあの内容を訂正したとしても、現状では、その訂正を支持する情報がネット上に存在していないのだから、たちまち誰かに元に戻されてしまうだろう。結果としてみれば、そこで情報は、真実からまた遠ざかるのであるが、しかし、ネット空間内での情報に対する振る舞いとしては、これは完全に正しいのである。
 だからこそ、私は今、この6年前の出来事に関して、私自身の言葉を「参照可能な情報」として、新たにネット空間に付け加える必要を感じた。そこで行き交う言葉のフローに、真実を語る私の言葉を投げ込まなければならないと考えた。何故、今か? このタイミングは、事件に対する私の「感情的な変化」によっているのではない。そうではなく、「環境の変化」によって求められたのである。時が解決してくれる、無視して関わりを持たないといった態度は、今日にまで至る長い人間の歴史の中では、不当な出来事に「巻き込まれた人間」が取り得る態度として、必ずしも消極的だというわけではなく、恐らくは、賢明であり、かつ有効なものと信じられていた。現実の世界の至る場所で語られていることに、いちいち反論して回るのは事実上不可能だったし、そのために人生の貴重な時間を費やすことが、無駄と感じられ、愚かしく見えたからである。しかし、それが「変わった」のである。しかも、まさしく今、「変わった」のである。
 web2.0以降、「巻き込まれた人間」は、ただ黙っていても、状況を改善されず、それどころか、悪化させてゆくこととなった。重要なのは、その悪化が、必ずしも「悪意」によってもたらされるのではなく、情報に対する個々人の正当な行為の結果として、もたらされるという事実である。その状況を不当と感じるならば、自らが積極的に、新しい情報となる言葉を発しなければならない。それは、具体的な個々の情報をターゲットにして、論駁することよりも、むしろ、その情報を巡る言葉の「流れ」に作用することが期待されている。しかし、その行方は誰にも分からない。梅田氏は、web2.0的世界では、最終的には51対49であっても、「正しいこと」が勝利するのではないかという見解を私に語った。私は、私自身の具体的な問題として、この見解について今真剣に考えるが、しかし、情報となる言葉を発しなければ、「正しいこと」であっても、100対0で敗北し得るのである。

 私自身がここに語ったことについても、人がそれをどう捉え、どう感じるかは分からない。しかし、ともかくも語った。私はただ、それが伝わることを信じることしかできない。

2006.9.15

平野啓一郎