安全保障の脱軍事化


一昨日、『真相報道 バンキシャ!』に出演した際にも言ったことですが、日本の首相は間接的ながら日本の有権者が選んでいる以上、内政に関しては、基本的には多数の「支持」を期待しつつ政策を進めていけるはずです。公約に従っている限りは。


しかし、外交問題は、当然のことながら、そうはいきません。アメリカ人や中国人が日本の首相を選ぶのではない以上、日本の新首相がこんなことをしたいと言ったところで、彼らがそれを受け入れなければならない理由はありません。問題の解決には、否応なく時間がかかります。
ダラダラやるべきではないですが、内政問題と外交や安全保障の問題との間には、解決のスピードにどうしても差が出るのが現実です。これは、たとえ今後、どんなに政治システムが変わって、最近よく議論されているように、ネットを活用した直接民主制的なものが実現されたとしても、国家が単位である以上は同じです。『ドーン』で「プラネット」というメタ国家を登場させたのは、そういう問題意識からでした。


沖縄の基地問題には、内政と外交との両面がありますが、内政問題を扱うスピード感で、外交問題まで解決しようとしたのが、今回の失敗の大きな原因でした。政権運営に慣れてないというテクニカルな問題にも見えますが、そのギャップを、旧態依然とした解決法で強引に埋めようとすれば、反発が起こるのは当然です。


大体、東アジアの安全保障のためにアメリカ軍のプレゼンスが欠かせないという理屈を、今、どの程度の人が納得してるんでしょうか?
安全保障の議論になると、専門家はすぐに、軍事的なシミュレーションを始めますが、ある国がどこかの国を攻撃するかどうかというのは、基本的には「損得」の問題です。攻撃して、得をするのか、損をするのか。その際に、相手国の軍事力を過大に評価するのは間違っています。


僕は二つのことを考えます。
リーマン・ショックのみならず、昨今のギリシア・ショック、スペイン・ショック、ハンガリー・ショックを見ても明らかなように、今の世界には、金融を中心に、極めて密に、複雑にリンクが張り巡らされていて、どこかの国が経済的な危機に陥れば、世界中の経済がガタガタになるという状況です。そういうグローバル化の時代である以上、日本は、日本の危機が、すなわち世界全体の危機であるような地位を維持し続けることこそが、実は最大の安全保障になるわけです。
日本の被害は、必ず世界中に「拡散する」という状況こそが重要です。


もう一つ、日本は今後、移民や外資の企業などを通じて、これまで以上に多くの外国人を受け入れていくことになるでしょう。
仮に、東京にミサイルが一発落ちれば、日本人だけでなく、アメリカ人も、中国人も、ロシア人も、ブラジル人も、分け隔てなく死にます。日本一国の問題ではありません。幾らアメリカが、日本の有事に興味を失ったとしても、アメリカ人が日本で山のように死んでいる姿を、YoutubeUstreamなどで、連日見せつけられれば、世論も黙っていません。アメリカは当事者になります。重要なのは、そうした日本国内の国際性です。


この二つの状況は、抑止力として十分に意味をなします。
今の世界は、外に対してはリンクを縦横に張り巡らせ、内には雑多な要素を飲み込んでゆくというのが基本です。国家もまた、純粋で、孤立的な存在であることなど不可能です。
そういう時代の安全保障にとって、軍事力よりも、経済的、文化的交流の方が有効であるというのは、火を見るより明らかです。


この10年で、世界はかなり変化しています。古臭い固定観念を捨て、我々は今後、どういう世界に住みたいのかということを、大きな理念として考えてみるべきです。
相変わらず、軍事的な均衡によってしか平和を維持できない世界が望ましいのか、それとも、ネットワークと雑種化を通じて、安全保障の脱軍事化が実現された世界を求めるのか。


グローバル化による一蓮托生のカタストロフは、「悪夢」である以上、それを回避するための合理的行動を、平和の維持のプログラムに組み込むことは可能なはずです。

『ショパン 伝説のラスト・コンサート in Paris』発売!


ご好評戴いてますショパンのベスト盤『葬送 平野啓一郎が選ぶ“ショパンの真骨頂”』に続く第2弾CD『ショパン 伝説のラスト・コンサート in Paris』が発売されました。


ショパン:伝説のラスト・コンサート

ショパン:伝説のラスト・コンサート


ショパンは、フランスで二月革命が勃発する6日前の1848年2月16日に、パリでの生涯最後のコンサートを行っています。
小説『葬送』の第二部冒頭で、文庫版にして約100ページにわたって描いたコンサートですが、今回のCDは、それを、曲目、曲順ともに再現したものです。


葬送〈第2部(上)〉 (新潮文庫)

葬送〈第2部(上)〉 (新潮文庫)


オール・ショパン・プログラムのコンサートは、今年も色々な場所で企画されていますが、ショパン本人は、一体どんな曲を選んで、どんな順番で演奏していたのでしょう? 実は、資料として残っていない、不確定な曲目もあるのですが、前後のコンサートのリストや当時の評判、証言、作曲年代、献呈者などから、僕の監修で再構成してみました。根拠については、ライナーノーツにしっかりと書きましたので、どうぞ、ご覧下さい。


今回も、『葬送 平野啓一郎が選ぶ“ショパンの真骨頂”』と同様に、たっぷり原稿用紙で50枚分の解説を書きました。
どうしてこのコンサートが「伝説」として語り継がれているのか? ショパンという音楽家は、一体あの時代にどういう存在だったのか? ロスチャイルド家とのつながり、サンドとの関係、イギリス行きの決断、……などなど、もちろん、小説『葬送』をお読みでない方も、まったく問題なく楽しめる内容になっています。


名前しか知らないバンドのCDを、まず何から聴こうかと迷った時、ライヴ・アルバムはベスト盤的な選曲で、格好の入口になりますが、その意味でも、ショパン本人の思い入れが詰まったこのコンサートからスタートするというのは、「これからショパンを……」という人にとって、特別の経験になると思います。
地方、これまでたくさんショパンを聴いてきた人にとっては、納得される選曲もあれば、意外と感じられるような選曲もあるはずです。僕自身もそうでした。どうしてショパンは、傑作として名高いあの曲ではなくて、あえてこっちの曲を演奏したんだろう?……そんなことをあれこれ想像しながら聴いてみるのは楽しいことです。


カヴァーの絵は、実際にショパンのラスト・コンサートが行われた19世紀中頃のプレイエル・ホールです。
ショパン本人の演奏を聴くというのは、ファンには永遠に叶わない夢ですが、小説を読み、目を閉じて音楽に耳を傾ければ、きっと時空を超えて、当時のパリでも200人しかチケットが手に入らなかったという、そのコンサート会場の一席に座っている感覚になることと思います。


演奏は、前回同様、EMIの膨大なリストの中から選びました。
ショパンが生涯の親友だったチェリストのオーギュスト・フランショームのために書いたチェロソナタは、既に病魔に冒されていたジャクリーヌ・デュプレとパートナーだったダニエル・バレンボイムとの感動的な演奏です。本CDの聴き所の一つです。



GWには、いよいよ、ラ・フォル・ジュルネです。
僕は、5月3日18:00から、ショパンについて話すことになっています。ご興味のある方は、是非いらしてください。無料ですが、コンサートの半券(どれでもOK)がいるそうです。詳しくは、こちらをご覧下さい。
http://bit.ly/cUu1X0

終了後には、サイン会も行われることになりました。
■5/3(月) 18:50〜19:20
■会場内 新星堂即売コーナーにて
■サイン会参加者:公式CD,ガイドブック、平野啓一郎監修CD、書籍『葬送』購入者対象



それでは、どうぞ、よい連休を!

ベルリン〜パリ


ご無沙汰しています。
去年は珍しく、なかなか良いペースでブログを更新していたのですが、ツイッターを始めてからというもの、あっちの方が楽で、その分こっちが滞ってしまいました。
前にもちょっと書きましたが、ツイッターは、140字以内の短いブログで、登録しなくても、僕が書いている内容は読めます。

https://twitter.com/hiranok

やってないと、見方が分かりづらいと思うのですが、「@〜」と緑色のアルファベットで始まっている文章は、ツイッター内の人とのやりとりですので、それだけ見てもよく分からないと思います。あと、矢印が書かれた四角い印のあとから始まっているのは、僕が引用した誰か他の人の言葉です。
そういうのがついていない、いきなり文章で始まっているのが、僕の日々のよしなしごとです。


ツイッターは、始めるまでは何が面白いのか、ピンと来ませんでしたが、やってみると、流行る理由がよく分かりました。簡単にアカウントはとれますので、気になる方はトライしてみてはいかがでしょうか?


仕事の方は、読売の連載が佳境に入り、他方で、エッセイや対談、インタヴューなどもあったりして、なかなか落ち着きません。詳細は、http://k-hirano.com のニュース欄をご覧下さい。


3月は、17日からベルリン自由大学で開催された三島由紀夫没後40周年記念シンポジウム「MISHIMA! WORLD IMPACT AND MULTI-CULTURAL ROOTS」に出席し、その後、パリに寄って、24日に帰国しました。

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写真は、細江英公さんの『薔薇刑』の一枚で、シンポジウムには、その細江さん、ドナルド・キーンさん、ボリス・アクーニンさん、三浦雅士さん、上智大学林道郎さんの他、多数の海外の研究者が参加しました。これまた、ツイッターの中に、ちょこちょこ感想が書いてあります。


パリでは、昔住んでいたというのと、街の真ん中で便利だというのとで、僕は大体いつも、左岸の6区のホテルに泊まるのですが、今回は、designhotel.comで見つけた、SEZZというエッフェル塔の近くのホテルに泊まってみました。このdesignhotel.comは、「お気に入り」の中に登録していたのを発見して、あー、こんなサイトあったんだと、今回かなりフレッシュな気持ちで利用したのですが、あとでふと昔のブログを読んでいると、前回パリに行った時も、同じこのサイトでホテルを探していたことが判明し、自分の進歩のなさに愕然としました。http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20071127
でもまぁ、便利なサイトです。


SEZZの内装は、こんな感じです。


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良い感じに落ち着いていて、快適でした。
フランスのホテルは、大体こんなふうに、バスタブにカーテンがついてないので、床を濡らさないようにシャワーを浴びるのに、結構テクが要ります。お湯の出る方向を考えながら、こぢんまりとした感じでシャワーを浴びるので、ダイナミックな爽快感が得られません。本当は、泡を飛び散らしながら、からだを洗いたいんですけどね。不満です(笑)。
まぁ、別に床が濡れても良いようになってるんですけど。


メトロの駅で言うと、パッシーとか、トロカデロとかのあたりで、移動はやっぱりめんどくさかったです。向こうの友達に、トロカデロのホテルというと、「なんで?」みたいな反応でした。
トロカデロ広場に駐車してあった車のガラスが3台続けて割られていて、16区だし、特に治安が悪そうにも見えないけど?と思っていたのですが、その友達曰く、ラグビーやサッカーの試合のあとは、興奮してガラスを割って回る輩がいるんだとか。迷惑な話です。


パリ初日の夜は、知人とターブル・ド・ロブションで食事をしました。この旅一番の贅沢。


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美しい前菜です。
フランス人は、普段は大ざっぱだけど、本気を出すとやっぱりすごいよなァ、とか感心しながら食べていたのですが、あとで紹介されたシェフは何と若い日本人。最近抜擢されたそうですが、間違いなく、将来有名になるでしょう。
本当に美味でした。


翌日は、バルザックの家→ロマン派美術館(ショパン展)→ジュ・ド・ポーム(リゼット・モデル展)→オランジュリー美術館→グラン・パレ(ギャラリー入りの現代アート展)と、ひたすら博物館/美術館巡りだったのですが、途中で通りかかったのが、ショパンとサンドが住んでいた、スクワール・ドルレアンです。


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ショパン好きにはお馴染みの場所だと思いますが、ここは19世紀後半のオスマンによる都市改造でも壊されることなく、そのままの姿で残っています。『葬送』で、サンドと別れるまで住んでいたのがここです。私有地なので、中には入れませんが、ショパンは9番地、サンドは5番地に住んでいて、行ったり来たりしていました。今は誰が住んでるんでしょう?


グラン・パレのあと、向かいのプチ・パレの「イヴ・サン=ローラン展」にも行きたかったのですが、恐ろしい長蛇の列で、疲労困憊していたので、断念しました。


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今回、軽くショックだったのは、僕がパリ時代、毎日通い詰めていたシャンピオンというスーパーが、カルフールに変わっていたことです。オデオンのシャンピオンの向かいには、「da rosa」というナイスな高級食料品店があって、お土産をあさりにそこに入った時に、店員から、この冬に、カルフールに買収されたという話を聞かされました。
別にどうという話でもないのですが、頭の中の記憶が、思い入れ込みではっきりしていると、照合されるはずの実物の消滅が、ヘンにこたえます。


最後はその逆というか、丁度、向こうに住んでいた時に、屋根の崩落というあり得ない事故が起こったシャルル・ド・ゴール空港の2Fというターミナルで、当時はメチャクチャだったのが、ものすごくきれいになっていて、ビックリしました。


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僕はいつも、パリに行くと、通りの名前が書いてあるプレートだとか、エール・フランスの表示だとか、青がきれいだなと思うのですが、今回は、最後に見たこの赤い絨毯が印象に残りました。天井の木材と相俟って、カッコよかったです。


……と、言ったところで、久々の旅行記でした。
次回は、もっと早く更新します!

プロジェクトD&C


以前からブログでもお話ししていたプロジェクトD&Cが、いよいよ完成しましたのでご報告します。


まず、プロジェクトD。
東京都現代美術館で開催中の「サイバーアーツジャパン─アルスエレクトロニカの30年」http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/cyberarts/ に、『DAWN』(中西泰人+森野和馬+ケンイシイ+平野啓一郎)という作品を出品しています。Dは、DAWNのDでした。
こちらで、予告編が見れます。


http://stripe.co.jp/dawn/index.html


『DAWN』は、小説『ドーン』を元にした、二つの作品からなっています。
展示スペースの両脇には、中西泰人さんが「散影」にインスピレーションを受けて制作した作品、中央には「架空の映画予告」というコンセプトで、森野和馬さんが制作した作品。映像の共有によって、一体感を持たせてあります。
スタニスワフ・レムは、『虚数』というタイトルで、架空の本の序文集を発表していますが、森野さんの方は、その映像版といった感じでしょうか。
上の予告編は2Dですが、会場では、映画『アバター』にも用いられた最新技術の3D映像が楽しめます。内覧会でも、迫り来る映像に、思わず手を伸ばしてさわろうとしたり、避けようとしたりする人がいて、みなさん、楽しそうでした。
ご覧になる際には、3D眼鏡の装着をお忘れなく! レイバンのサングラスみたいなのが置いてあります。
音楽は、ケンイシイさんで、『アバター』もそうですが、映像の立体感の把握には、音の効果は絶大だと改めて感じました。


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内覧会でのチームDAWNです。
因みに、森野さんのブログには、もっと怪しいヴァージョンが掲載されています(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/kazumaM/20100205


『DAWN』に関しては、僕自身は原作を提供して、コンセプトについて議論をするところまでで、あとは、お三方に完全に任せていました。作品はまったく彼らのお手柄です。
元々、『滴り落ちる時計たちの波紋』に収録されている「バベルのコンピューター」という短篇に、アルスエレクトロニカに出品されたという設定の架空のメディア・アート作品のことを書いていたのが、今回声をかけてもらったきっかけで、最初は、その実物を作るということだったのですが、諸般の事情で、『ドーン』をテーマにした別の作品ということに相成りました。


古平正義さんに手がけてもらった本の装幀もそうですが、自分の書いた小説から、こんな素晴らしい作品が生み出されるとは、まったく、作家冥利に尽きます。
『DAWN』以外の出品作も非常に面白いですので、時間を見つけて、是非、現美に足を運んでみてください。


さて、もう一つのプロジェクトCの方は、既にご紹介したとおり、EMI CLASSICとのショパン企画で、第一弾は、2/24に発売されるベスト盤CDです。タイトルはズバリ、『葬送〜平野啓一郎が選ぶ“ショパンの真骨頂”』。
大きく出たな、という感じですが(笑)、入門編となるような網羅的な選曲を心がけつつ、EMIのショパンという独特の広がりを持った世界を堪能してもらうという意味で、既にショパンに馴染みのある方にも楽しんでいただける内容になっていると思います。


ライナーノーツは、もちろん、僕の書き下ろして、原稿用紙にして50枚分という気合いの入れようです。
今、初めて枚数を計算したのですが、どうして僕の年末年始があんなに大変だったのか、やっと謎が解けました。。。
ショパンの音楽と人生、両方の理解が深まるものにしたのですが、タイトルにもある通り、小説『葬送』とも完全対応していて、曲ごとに文庫版の関連ページが記入されています。小説の世界と併せてお楽しみください。
詳しくはこちらを。↓


http://www.emimusic.jp/classic/chopin/release/toce56294.htm


アマゾン、HMV等でも既に予約可能です。
どうぞ、小説とCD両方の『葬送』で、ショパン生誕200年をエンジョイしてください!


葬送 平野啓一郎が選ぶ”ショパンの真骨頂”

葬送 平野啓一郎が選ぶ”ショパンの真骨頂”

GIVE ONE


前回のエントリーでお名前を出したマイクロソフトの龍治玲奈さんから、GIVE ONEという彼女が関わっているプロジェクトを紹介してもらいました。


http://www.giveone.net/cp/pg/TopPage.aspx


これは、個人向けの寄付サイトで、使い方は、ショッピング・サイトなどと同じです。
関心のあるプロジェクトを選択して、額を自分で決め、カートに入れていって、最後にクレジット・カード決済か、ジャパンネット銀行での決済かを選択します。


僕は早速使ってみたのですが、5つ関心のあるプロジェクトを選択して、決済したところ、国内のNPOのプロジェクトはいずれも税控除対象外で、ハイチの被災者向けのものだけが税控除対象となっていました。このあたりが、政治の課題だと思います。


GIVE ONEの面白いところは、これを「企業毎にカスタマイズして、社員を取りこんだCSR(企業の社会的責任)プラットフォームとして活用できる」という点で、Canon Marketingが既に導入しているとのこと。
僕は確定申告をする人間ですが、会社員の場合、企業が社員の寄付活動を把握して、税控除の処理をしてくれるなら、かなり楽だと思います。
詳しくはこちらをご覧ください。 http://www.public.or.jp/


このGIVE ONEは、NPO法人のパブリック・リソース・センターというところがやっていて、事務局長の岸本さんという方のインタヴュー記事があります。


http://www.tokyo-np.co.jp/hold/welove/CK2007031302100457.html


日本での寄付文化の現状については、僕の前回の話よりも、より具体的で、明快です。
「よく日本と米国ではメンタリティーが違い、寄付文化を根付かせるのは無理という人がいるが、全くの間違い。例えば日本ユニセフ協会が集める個人寄付は、全世界で最大になっている」など、僕自身もハッとさせられる記述がありました。
僕は、政府を経由しない所得の再分配という発想でしたが、ここでは、「市民ファンド」という考え方が採られています。


NPOの活動、寄付活動は、色々な形でされていると思いますが、一例として紹介しました。

ITを活用した所得の再分配システム


先週出演した「クローズアップ現代“助けて”と言えない〜共鳴する30代〜」は、反響の大きかった去年の番組の続編でした。
今の30代についての僕の考えや思いは、前回のコメントと、それを補足したブログ http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20091011/1255223063 をご参照ください。


親に自分の窮状を話せないという心情は、親の前での分人、あるいは親の自分に対する分人に、社会的に苦境に陥っている自分の分人の存在を「混ぜたくない」、「リンクさせたくない」という意味で、よく理解できます。
『ドーン』でも、明日人と今日子という夫婦を通じて、僕は、その人といる時の自分の分人が、一番「生き心地がいい」、一番「好きだ」と思っている時、その相手に、トラブルの渦中にある分人を知ってもらうべきかどうかという問題を描きました。
僕の意見は、分人は、関係空間ごと、環境ごとに生じるものですから、結果としてそういう分人を今抱え込んでいるということは、客観的に相談すべきだというものです。
ただ、決して簡単ではないですから、その時にやっぱり問題になるのは、「愛情」だと思います。『ドーン』で「愛」をテーマにしたのは、そういう理由です。


僕は、分人主義的な生き方の一つの説明として、こういう話をします。
「個人」という分割不可能な単位を、仕事なり、恋愛なりに、一点集中で「投資」してしまうことは、明らかにハイリスク、ハイリターンです。子供の頃から、たとえば野球に全身全霊を打ち込んで、ハイリターンでメジャーリーガーにでもなれば、華々しいですけど、もちろん、そうならない可能性も非常に高いです。
分人主義的な生き方というのは、自分という資産の分散投資のようなものです。
恋人との分人がイマイチでも、仕事の関係者との、あるいはブログ上、SNS上の分人が好調なら、±で、ちょっと+かな、というような考え方です。
僕は、そう考えることで、随分と気が楽になっています。自分を全部、嫌いになる必要がありませんし、満更でもない分人を生じさせてくれる人、環境に対して感謝の気持ちが芽生えます。
「自分という資産」と言いましたが、どこかの分人が、生き心地がいいのなら、徐々にそこに資産を集中していけばいいのです。恋愛している分人の比率を大きくするとか、仕事をしている分人の比率を大きくするとか。
人によっては、些細な違いに見えると思いますが、僕が「分人」という概念を、「仮面」や「キャラ」と区別する必要を感じたのは、そういう考え方がしやすくなるからです。



勿論、経済的な困窮に対しては、同時により具体的な対処も必要です。
僕はスタジオで、「寄付」の話をしましたが、本当に言いたかったことは、ITを利用した、政府を経由しない所得の再分配システムの必要性です。


作家になってから、僕は毎年、少額ながら寄付をしてきましたが、それは正直、ユニセフ国境なき医師団などの海外向け、あるいは今回のハイチのような災害向けばかりでした。その傾向は、日本のセレブ、一般企業、あるいはテレビ番組などにも見受けられます。
もちろん、海外への寄付も重要ですが、どうして、国内向けではないのか。そのことをこの1、2年、僕自身が自問していました。


たとえば、19世紀のフランス社会には、歴然とした階級格差があり、しかも、政府には十分な所得の調整システムがなかったため、それを是正するものとして、富裕層が積極的に慈善活動を行って、政府を経由せずに所得を再分配する工夫を行っていました。背景にあるのはキリスト教精神です。必ずしも十分ではありませんでしたが、その伝統は、今も残っています。


クローズアップ現代」に出演して感じたことなんですが、番組を見て、「他人事と思えない」と共感した人が多かったのと同時に、何かしたいけど、何をすべきか分からないまま、1日経ち、2日経って、結局何もしなかった、という人も非常に多かったということです。
その結果、何もしていない自分に、何か言う資格があるのかという後ろめたさから、貧困問題に対しては、まったく沈黙してしまうことになる。これは、悪循環です。


実際、僕に対しても、お前なんかに貧困について語る資格があるのかという意見は勿論ありますし、僕はその声を受け止めます。当然ですが、NPOなどで、具体的な活動をされている方の意見をこそ、一番に傾聴すべきです。が、僕を含めて、今は少なくとも生活に困窮していない人が、みんな黙り込んでしまい、無関係でいようとすることは、社会にとって決していいことではありません。少なくとも、そういうことを考える分人を持ち続けるべきです。


僕は、スタジオでも言いましたが、人の心は移ろいやすいもので、人間の善意も、基本的には「はかない」ものだと思います。
番組を見て、なんとかしたいと思い、2、3日経ってすっかり忘れてしまっているというのも、人間の一つの姿です。ただ、せっかく一瞬、人の心に萌したその善意を、取り逃がさないシステムを、ITを活用して作るべきではないかというのが、僕の提案でした。


具体的には、携帯電話などを通じて、親指一本でただちに寄付が出来るようなシステムを整える。月々の寄付については、たとえば携帯会社の料金明細表に記録が残って、きちんと税控除の対象になる。
僕の考えでは、政府が一旦、税金を吸い上げて、その使い道を政治家が議論し、数年がかりで再分配するという手間ヒマをすべて国民が自分たちで引き受けるわけですから、税控除は今の−5000円の所得控除で、上限が所得の40%というよりも、もっと大幅であるべきです。


そうした政府経由の膨大な時間とコストのかかる方法ではなく(あるいはそれを補完するために)、即座に、またきめ細やかに、所得の再分配がNPOなどへの寄付を通じて行われるシステムが必要だと思います。
僕は人間の善意を信じていますが、それを過信したシステムは、うまくいきません。「何かしたい」と思っている多くの人が、結局、何もしないのは「手間ヒマ」のためです。しかし、その「手間ヒマ」を、ITの活用で大幅に簡略化すれば、「はかない善意」を具体化したいと思っている人は多いはずです。
気に入らないことに税金を使われるくらいなら、自分で関心のあるところに寄付をして、その分税控除してもらった方がよほどいいと思う人も多いでしょう。


このシステムは、心理的にも大きな意味を持っていると思います。上述のような理由で、貧困問題に関心はあるけれど、発言はしにくいと思っている人も、その民間の所得の再分配ネットワークに少額であれ参加していれば、沈黙せずにすむと思います。他方、「助けて」と言えずに、NPOなどの支援を拒んでいる人も、自分の生活が安定してきた時には、自分が今度は、寄付をする側として、そのネットワークに参加すればいいと考えるべきです。そうすれば、一度「助けて」と言うことが、人生の決定的な「敗北」を意味するというふうに考えなくてすみます。あるいは、余裕のある時に、事前に寄付しておけば、自分が窮地に陥っても、当然のこととして、システムを利用できます。


クローズアップ現代」に出演した翌日、僕は、「東京都若者総合相談(・э・)/若ナビ」http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2009/11/20jbj800.htm の公開研修会に参加しました。
東京都が設置した若者向けの相談窓口で、必要な方は、気軽に利用されるといいと思います。
そこで、精神科医で「若ナビ」監修者の田村毅さん、NPO法人「育て上げ」ネット http://www.sodateage.net
の工藤啓さん、マイクロソフトの龍治玲奈さんとお話しさせていただいたのですが、工藤さんの意見では、寄付が海外向けになりがちな理由の一つは、100円で出来ることが、海外の方が遥かに大きいため、寄付者が効果を実感しやすいからではないかとのことでした。確かに、それはあるかもしれません。
NPOで地道に活動されてきた方がいる一方、一般には、国内の貧困問題がこれまであまり深刻に考えられてこなかった、あるいは「自己責任」として切り捨てられてきた、というのもあるでしょうし、海外への寄付の方が、企業の場合、イメージ戦略を立てやすいというのもあったのだと思います。


他方、龍治さんは、まさしくITを活用した企業の社会貢献がご専門で、色々とその具体例を伺うことが出来ました。ご参考までに、こちらをご覧ください。 http://whosereal.causepark.jp/csr/csrcsr.html


貧困問題は、すぐに出来ること、中長期的に実現していくべきことなど、幾つかの時間軸で考える必要があります。長期的には、ベーシック・インカムの導入も検討すべきでしょうが、個人的にはもうちょっと勉強する必要があります。ここで提案した、ITを活用した所得の再分配システムは、もっと簡単に実現できることだと思います。
当面は、今の状況の中で一人一人が何かをすべきですが、これまで海外の寄付だけをしてきた人は、国内の方に幾分か振り分けてみるというのも一つだと思います。僕も今後は、そうするつもりです。


番組に一緒に出演された奥田さんの北九州ホームレス支援機構 http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/top.htm

そもそも新聞とは?


深夜にツイッターで、「米Amazon、電子書籍端末「Kindle」で著者の印税率を70%に引き上げ発表、Appleタブレット対策か?」http://hon.jp/news/1.0/0/1404/ との情報をキャッチし、目が点になりました。
アップルのタブレットとの駆け引きで、多少は上げてくるかなとは思ったのですが。……


ところで、目下の新聞や雑誌の危機は、広告収入の激減が大きいのですが、そもそも、この「情報+広告」という組み合わせは、いつに始まったことでしょう?
答えは、1836年7月1日。エミール・ド・ジラルダンが、商業広告の導入によって、予約購読料を一気に半額にした新聞『プレス』を創刊したときです。そして、1845年には早くもパリに広告代理店が登場しています。
……というような話が、非常に面白く書かれている本がこれです。↓


新聞王ジラルダン (ちくま文庫)

新聞王ジラルダン (ちくま文庫)


『葬送』を書く際に、鹿島茂さんの本は色々と読みましたが、『新聞王ジラルダン』は、このメディアの激動期には、とても示唆に富んだ本です。
詳細は省きますが、ジラルダンの最初の新聞は、『LE VOLEUR(剽窃新聞)』というもので、これは当時、政治新聞、文学新聞、演劇新聞、……と、それぞれの新聞がバラバラに発行されていて、しかも、年間予約購読が基本だったのに対して、それらのおもしろ記事だけを全部勝手に編集(剽窃)して、一週間遅れで刊行するというもので、発想としては、今のネットのグーグル・ニュースなどと非常によく似ています。剽窃ではないですが。


その他、印刷機の改良で印刷スピードを飛躍的に向上させたり、地方への販売網を広げたりと、とにかく、現在の新聞の基礎となる形を作った人ですが、そんな彼も、ボードレールが、「ジラルダンがラテン語を話すだって!? それこそ、禽獣にして能く人語を解す、というヤツだ」と酷いことを『火箭』の中で「つぶやいて」いるように、当時はジャーナリズムを商売にした人間として、悪評も随分と買っています。
新聞とはなんぞや、あるいは、メディアとはなんぞやということを、根本に立ち返ってつくづく考えさせられる本です。
興味のある方はご一読を。


※告知

今日(1/21)、7:30からNHKの「クローズアップ現代」にゲスト出演します。去年の特集の続きです。今回は、女性のケースも取り上げられています。どうぞ、ご覧ください。
“助けて”と言えない〜共鳴する30代〜 http://www.nhk.or.jp/gendai/