『空白を満たしなさい』目次&イヴェントのお知らせ

ほぼ一年間書かなかったブログを、この三日間で二回も書いてます!

放置期間にも、根気強く僕のブログをのぞきに来て下さってた方は、これがいかに驚異的なことか、よくおわかりでしょう(笑)。

大きな執筆の仕事が一段落して、少し時間が出来たからなのですが。

で、まずは、色々とイヴェントの告知です。

 

11月30日 (金) 19時00分 - 21時00分、市ヶ谷のアンスティテュ・フランセで、フランス人作家エリック・ファイさんと対談します。無料。同時通訳アリ。 

 

12月7日(金)19時30分~ スーパーデラックス六本木にて、自殺対策支援センターのライフリンクとイヴェントをやります。サイン会もします。【第6回「メメント・モリ」 『空白を満たしなさい』発刊記念緊急企画 ~生きづらさへの処方箋 】

 

12月14日(金)19時00分~ 代官山蔦屋にて、『空白を満たしなさい』刊行記念 ミニトーク&サイン会 を行います。

 

今書いていて気がついたのですが、明日から三週連続で金曜日にイヴェントじゃないですか!

みなさん、どこかで是非お会いしましょう。

 

さて、前回に引き続き、『空白を満たしなさい』の紹介です。

「モーニング」での連載は、約一年間、46話+エピローグだったのですが、単行本ではそれを十一章(45話)に整理しています。

以下に目次を掲載しますので、ひとつ、想像を膨らませてみて下さい。

 

『空白を満たしなさい』

 

第一章 生き返った男

1  《SAVE ME》

2  傷痕

3  妻が明かす事実

4  俺はそんな人間じゃない!

 

第二章 人殺しの影

5  開封された死

6  居場所はもうない

7  佐伯という男

8  遺伝子が泣いている

 

第三章 惑乱の渦中へ

9  不意打ち

10  母と妻

11  交わり

12  「人間だもの」

 

第四章 過去が明るみに

13  人が人を殺す時

14  誘惑者

15  幸福への抜け道

16  打ち砕かれた過去、そして未来

 

第五章 茫然自失

17  まったく身に覚えのない声

18  絶望的な反復

19  帰郷

20  生き残した人生

 

第六章 決定的な証拠

21  復生者たち

22  再生された空白

23  死後の世界

24  千佳の「秘密」?

 

第七章 楽園追放

25  反人間的な、あまりに反人間的な

26  「で、これの何が面白いんですか?」

27  アダムとエヴァが、いなくなったあとのエデン

28  死は傲慢に、人生を染める

 

第八章 勝者なき戦い

29  どこにも痕のない咬み傷

30  氾濫する自画像

31  ゴッホ殺しの犯人

32  消された文字

 

第九章 真相

33  蘇る記憶

34  最後の一念

35  終点まで止まらない電車

36  生の麻薬

 

第十章 夢のような一時(ひととき)

37  再出発

38  死者の居場所

39  幸福の手応え

40  隠しごと

 

第十一章 空白を満たしなさい

41  消えゆく命

42  言わずには、いられなかった

43  「空白を満たしなさい」

44  もう夜には後戻り出来ない

45  永遠と一瞬 

空白を満たしなさい

空白を満たしなさい

『空白を満たしなさい』、刊行!

こんにちは。

一年にも及ぶ長い休眠期間(?)を経て、久しぶりの更新です。

これを機に、はてなダイアリーから、はてなブログに移行しました。

最近は、公式ホームページ http://k-hirano.com のみならず、ツイッター @hiranok やらフェイスブックやら、ネット上にいろんなのが増えて、ブログはつい疎かになりがちですが、ここはここで大事にしていきたいと思ってますので、今後は心機一転、もっと頻繁な更新に努めます!

 

さて、昨年から今年にかけて「モーニング」誌上に連載していた『空白を満たしなさい』が、いよいよ、単行本化されました!

空白を満たしなさい

空白を満たしなさい

 

世界中で、死んだ人間が、突如として生き返り始める、という物語です。と言うと、不気味な話のようですが、ホラーではありません(笑)。

静かに、ふと、もう二度と会えないはずの人たちが戻ってきます。
主人公も、「復生者」と呼ばれるその一人なのですが、他の人たちとは違って、彼の「復生」は、なぜか周囲に手放しでは喜ばれません。

そもそも、本人は、自分が死んでいたという自覚もなく、死んだ時の記憶もありません。

一体、何があったのか? 
その謎から、物語は始まります。

 

連載は、漫画雑誌というアウェーな場所でしたので、この小説は、文学にまったく興味がない人にも楽しんでもらうというのが、大前提でした。

担当者も、文芸の担当者とは視点や感覚が違っていて、大いに刺激を受けました。話のテンポの速さ、読みやすさなど、その成果はかなりあると思います。

とはいえ、文学ならではの感動がなくなってしまえば、わざわざ文学を読む意味もないですから、そこのところでは徹底してます。読み応えがあってこその面白さですから。

 

少し由来の話をしますと、この小説は、去年、僕が36歳の時に書き始めました。丁度、自分の父親が死んだ歳で、作家になった時から、僕はその年齢を迎える時には、何か自分なりの死生観を、小説の言葉にすべきだと感じてました。じゃないと、その年齢をうまく越えられない気がしていました。

そして、図らずもその年には、東日本大震災で、多くの方が亡くなることになりました。それもまた、決定的な出来事でした。

震災が直接、扱われているわけではありませんが、これは震災後の小説です。

いずれに意味でも、『空白を満たしなさい』は、僕にとって特別な作品になりました。

 

デビュー以来、僕はずっと現代を「生きる」ということについて考えてきました。特に、2000年代に入ってからは、あまりにも社会が激変して、もう旧来の人間観では到底、間に合わないという実感を強く持っていました。

根性論でも、安直な癒しでもなく、どうすれば、今の自分の生に納得できるのか。

幸福とは何なのか?

この小説では、僕と同世代の人間の自殺が一つのテーマになっていますが、それは、最終的に生を肯定するためです。

重たく、悲しい内容を含んでいますが、書き終わったあと、僕はどこか明るく、晴れやかな気分でした。

 

自分自身の第三期の仕事としては、『決壊』、『ドーン』、『かたちだけの愛』で、「分人主義三部作」のつもりだったのですが、この『空白を満たしなさい』でも、「分人」という概念は重要な意味を持っていますから、結局、「四部作」になってしまいました(笑)。勿論、その分、更に前進しています。現時点での僕の集大成です。

新書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』では、「分人」について、僕自身の経験を交えながら、分かりやすく解説してますので、併せて是非、ご一読ください。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

講談社のHPにも特設サイトが作られています。
既に読んで下さった方の感想も載ってますので、どうぞ、ご参考に。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/kuuhaku/

 

ワルシャワ訪問記

10月にポーランドのワルシャワ大学で講演してきました。
ポーランドは、非常に「親日的」と言われている国で、そのそもそものきっかけは、やっぱり日露戦争なんだそうです。トルコに関しても、よくそういうことが言われますね。まぁ、ショパンの時代から、ずっとロシアの支配下にあったわけですから、さもありなんです。
勿論、その後はまた長い歴史があるわけですが。


今は、諸外国の例に漏れず、漫画やアニメの人気が高く、ワルシャワ大学の日本語・韓国語学科は屈指の難関学科となっているようです。もちろん、文学の研究も充実していて、谷崎の翻訳で知られるミコワイ・メラノヴィッチ教授は、僕の小説をすべて日本語で非常に丁寧に読まれていて、特に『葬送』に関しては、「とても感動しました。是非、ポーランド語に翻訳されるべきです!」と言って下さいました。あの小説がポーランド語で読まれているところを想像すると、それだけで胸が熱くなります。


滞在中、かなり写真を撮りましたので、短いコメントをつけて、ざっと紹介していきます。
ご興味のある方はどうぞ。


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ワルシャワ大学の構内にあるショパン一家が住んでいた建物です(1817-27年)。
元はカジミエシュ宮の別棟で、フランス語教師だったお父さんのミコワイは、ここで寄宿舎も営んでいました。
現在は、日本語学科の研究室も入っています。


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ワルシャワ大学の図書館。すっきりしてますね。


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学食です。
ポーランド料理は、学食から高級店まで色々食べましたけど、おいしかったです。
浮ついてない、しっかりした味です。


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ワルシャワから車で約1時間。
ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家の門です。
感動!


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去年が生誕200年だったので、全体的にきれいになってました。
お土産屋さんです。


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そして、ここがまさにショパンが生まれた建物。
父ミコワイが住み込みの家庭教師を、母ユスティナが使用人として働いていたスカルベック伯爵夫人宅の別棟です。
戦争で壊された後、修復されています。



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展示されていたのは、ショパンが友人宅で弾いたと言われているピアノ。


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ショパンが最初に出版したポロネーズの楽譜。
七歳の時の作品ですが、出版したヴォイチェフ・ジヴニーという彼の最初のピアノの先生が、「八歳の音楽家」と書いてしまったために、ショパンは1809年生まれなのか?と、後世の人を勘違いさせてしまった曰く付きの代物。今では、1810年説が定説になっています。表紙はフランス語です。


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ショパンの家族です。全員わかったら、なかなかのショパン通ですね。
小さいポートレートは、夭折した妹のエミリアです。


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何の楽譜でしょう? レプリカですけど。
ちょっとピンぼけしてますけど、わかりますか?
答えは「舟歌」!
ショパンの楽譜は本当にきれいです。繊細な音符。


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敷地の中は公園になってます。
気持ちのいい場所でした。


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ショパンが洗礼を受けた教会。これも戦後、修復されています。
ここにある出生届の日付が、ショパンが自分で手紙で書いている誕生日の日付と違っていて、また後の人たちを混乱させています。まあ、昔のことですから、僕は届け出の方が間違ってると思ってます。そちらの説の方が優勢です。
写真は、あとで行ったショパン博物館に展示されていた出生届です。


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ワルシャワに戻って、ショパンの時代からあるというレストラン。
ショパンも来た(かも?)とのこと。
ジュレックという、ポーランドの味噌汁みたいなスープ。これは、本当においしかったので、日本のスープ屋さん、導入しましょう。
左手で具を掬い上げつつ、右手で写真を撮るのは、僕の得意技です。



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世界遺産になっている旧市街。
色使いがかわいいですね。
下はワルシャワ市の象徴である人魚像。


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彼方に見えるのは建設中のスタジアム。
端っこに、さっきの人魚像の「ゆるキャラ」バージョンが(笑)。


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ショパンがオルガンを弾いていたというヴィジトキ教会。
ショパン一家がワルシャワで最初に住んでいたサスキ宮のあった場所の南側です。


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ショパンの心臓が埋められている聖十字架教会。
ショパンは二十歳でポーランドを後にしてから、とうとう一度も帰国が叶わなかったので、せめて心臓だけでもポーランドに持ち帰って欲しいというのが遺言でした。
柱に埋めるという発想は凄いですが。
僕は、しばらく動けませんでした。


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パリのマドレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀では、遺言に従って、モーツァルトのレクイエムが演奏されてます。
命日の10月17日には、この聖十字架教会でレクイエムのコンサートをやっているようです。僕は残念ながら、ギリギリ日程が合わず、聴き逃しましたが。


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生誕200年を記念して、街の至る所に設置されているショパンベンチ。固いボタンを押すと、ショパンの曲が流れるんですけど、結構不具合が多くて、僕が通り過ぎてから随分経って突然流れ始めて、通りかかった人がビビッてました。


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ショパン、キュリー夫人と並ぶポーランドのスター、コペルニクス。
地面に太陽系が描かれています。下は地球です。


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金属製のヤシの木。なんでも、どっかのアーティストが、ある日突然、大通りの中央分離帯に作ったそうで、撤去するかどうか議論になった末、せっかくだから残してあるのだとか。


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ワジェンスキ公園のショパン像。
前でしゃがんで写真を撮ってる人の後ろ姿がちょっと笑えます。
あんまりいい像と思えないのですが、作られた時から評判はイマイチだったとか。
ショパンが好きだった薔薇の花が植えてあります。


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走るショパン! 顔がワルシャワの地図になってます。
愛されてますね。
ショパン博物館の向かいのビルです。


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ショパン博物館も、去年のリニューアルで、かなりハイテク化されてます。
押し花は、ショパンの棺に献花されたもの。


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目玉はやっぱりこれでしょう!
ショパンが最後まで所有していたプレイエル。
死後、オークションにかけられたのを、ジェイン・スターリングが買い取って、ショパンのお姉さんにプレゼントしたものです。パリから持ち帰られました。
フラッシュ禁止なので暗いですが。


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最後の夜に行った、UNDER THE RED HOGという、共産主義時代を皮肉ったお店。
メニューが全部、「高官、ブルジョワジー向け」と「プロレタリアート向け」に分けられてます(笑)。
面白いだけじゃなくて、すごくおいしかったので、ワルシャワに行かれる方はオススメです。


……というわけで、写真もかなり、お腹一杯ですね。
忙しい最中に、またものすごくマメな旅報告をしてしまった。。。

『空白を満たしなさい』第1〜3話、無料公開!


先日お伝えした通り、いよいよ、新作小説『空白を満たしなさい』の連載が開始されましたが、この度、『モーニング』公式サイトにて、第1話〜3話までが無料公開されることとなりました。
雑誌を手に取りそこなった方は、是非こちらをご覧下さい。


http://morningmanga.com/news/1474


続きは、鋭意執筆中です。
どうぞ、お楽しみに!

『空白を満たしなさい』

お久しぶりです。
ずっとブログの更新が滞ってました。


いよいよ、新作の長篇小説の連載が始まりました!
媒体は、『モーニング』。――そう、あの漫画雑誌の『モーニング』です。もちろん、僕が書くのは小説です。
第1回目の掲載は、No.40 (9.15号/9月1日売り)。
タイトルは、『空白を満たしなさい』です。
よく、テストなどで目にする言葉ですが、小説では、その「空白」とは何か、「満たす」とはどういうことかを巡って物語が展開します。


テーマは、人間の生死です。
実は、僕は今年、父の享年(36歳)と同い年になりました。小説家になった時から、その年には、「生きる」ということを正面から扱った作品を書きたいと考えていましたが、構想を練り、執筆に取りかかった矢先に、3.11の東日本大地震が起こりました。
遠い過去に亡くした一人の肉親と、現在の非常に多くの犠牲者との間で、小説家として考え抜くということが、今の僕の仕事です。


あまりそう書くと、重たい話一辺倒のようですが、もちろん、小説としての面白さも追求します。
週に一度、時間を見つけて、是非、読んでみて下さい。


こちらは、『モーニング』の公式ページです。
http://morningmanga.com/news/1449


ツイッターの『空白を満たしなさい』専用アカウント @kuhakuwoでは、担当編集者が、創作現場のこぼれ話などをつぶやいていく予定ですので、僕のアカウント@hiranokと併せて、お楽しみ下さい。


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希望を抱いて

震災から10日が経ちました。
たくさんの方が亡くなられ、今も多くの方が避難生活を余儀なくされています。
映像を目にし、情報を知る度に、痛切な思いに駆られます。
原発はまだ、予断を許さない状況ですが、それでも少しずつ、復興の兆しも見えてきました。


僕は震災後、ツイッターを通じて、被災者の皆さんに次のように語りかけました。


「被災された方へ。自分の人生を、眩しいほどのハッピーエンドが待ち構えている一篇の長篇小説だと考えてみて下さい。あなたの人生の物語はまだ途中のページです。残りのページでは、数多くの登場人物が、主人公であるあなたを助けてくれます。そうして立ち直っていく主人公は、最高に美しい人間です。」


この気持ちは、今も変わりません。
自衛隊やボランティアなど、既に多くの方達が、続々と皆さんの人生に登場しています。
まだまだ先は長いですが、物語は一歩一歩、前に進んでいます。
大切な方を亡くされた悲しみは、簡単に癒えるものではありませんが、そういう時には、自分の人生のページを捲る手を止めて、その方のことをゆっくり思ってください。時には、ページを後戻りして、その方との思い出に浸って下さい。そうして気持ちが落ち着いてきた時には、また自分のペースで、少しずつ、人生のページを捲っていって下さい。その物語の主人公は、皆さん自身です。そしてそれは、本当に愛されるべき、感動的な主人公です。


僕個人の出来ることは、情けないほどに微力で、今のところ寄付くらいでしかお役に立てていませんが、何が出来るのかを引き続き考えていきたいと思います。


小説家としても、今回の出来事を作品を通じて受け止められないのであれば、僕がこの時代に小説を書き続ける意味はありません。僕の小説が、一体どれだけの人にとって意味があるのかと、悲観的な気持ちにもなりますが、人間について、社会について、この経験を踏まえて、改めて考え直すというのは、むしろ小説家として、最低限やるべきことです。
『かたちだけの愛』の取材では、実際に義足で生活されている方にもお話を伺いましたが、人生の大きな試練を、前向きに、明るく乗り越えてゆこうとされているその姿に、深い感動を覚えました。そして、そうした方たちの願いが、何も特別ではない「普通の生活」であることも教わりました。それはもちろん、障害を持った方だけではなく、心に傷を負ったすべての人に言えることです。
普通の生活に戻り、普通に人と笑い合い、おいしいものを食べ、仕事に邁進し、趣味にいそしんだり、恋をしたりする。普通である、ということは、こんなにも素晴らしいことかと、今は多くの人が感じていると思います。そして、改めて戻ってきた普通の生活は、前よりももっと良くなっているべきです。
僕たちは、被災者を優しい気持ちで思いやり、一日も早く、「普通に」一緒の生活が出来るように、復興に協力しなければなりません。
もちろんこれは、被災地だけの問題ではなく、日本全体の問題でもあります。原発を始め、今回の震災で改めて浮き彫りになった問題も数多くあります。日本全体が、復興を通じて、元に戻るだけではなく、前に進まなければなりません。「前進的復興」というのが、今後の課題です。


もう一つ、これも丁度一週間前に、ツイッターで発信したメッセージです。


「日本は今、大怪我をしているが、救急処置が終われば、回復への長いリハビリが始まる。動かせる部分が元気で、しっかり動かないと、それもままならない。寄付や情報の共有、言葉による激励などを通じて、被災者に寄り沿いながら、同時に、震災前にも増して活発に活動しよう。そういう一週間の始まり。」


節電など、気をつけなければならないことは色々とありますが、活動できることの喜びを噛みしめながらがんばりましょう。


ブログの更新は遅くなりましたが、震災直後から、この間、ツイッターではかなりたくさんツイートしました。
僕自身の言葉だけでなく、どこで今、食料が足りずに孤立している人たちがいるとか、放射能についての専門家の解説とか、あるいは、人を元気にさせるような言葉だとか、次々と舞い込んできて、それをまた人に伝えたりしました。
僕がツイッターを始めたのは、一年ちょっと前ですが、今回、マスコミの情報だけを受け取っていたのと、ツイッターを通じて情報を知り、こちらからも発信できていた、というのでは、随分と違っていました。
僕自身の安否も、ツイートによって、関係者にはすぐに伝わりました。


こちらから、僕のツイートやリツイートをご覧いただけます。
古い緊急情報は、既に解決しているものも多いですので、気をつけて、記録として読んで下さい。

https://twitter.com/hiranok


ツイッターの使い方、見方は、検索すると色々出てきます。
例えば、こんな感じです。http://d.hatena.ne.jp/rikuo/20100525


今回の震災では、東大の早野教授のツイート https://twitter.com/hayano それから、東大病院放射線治療チームのツイート https://twitter.com/team_nakagawa が、専門家の見地から、刻々と変化する原発の状況、その健康への被害について、的確な解説を提供してくれ、多くの人が過度の不安から解放されました。
未読の方は、さかのぼって読んでみられることをおすすめします。


連休中ではありますが、また新しい一週間が始まりました。
希望を抱いて、前向きに歩んでいきましょう!

身体と道具

人間の体と道具との関係について、メモがてら、書いておきます。


『かたちだけの愛』では、義足が大きなテーマになっていますが、義足は果たして、道具なのか、身体なのかということを、最初はやはり考えました。


道具というのは、基本的には一義的なものです。栓抜きは、栓を抜くというただ一つの目的のために作られたものですし、包丁の目的は、食材を切ることです。
この世界には、そうして、多種多様な一義的な道具が溢れているわけですが、だからこそ、それを使いこなす身体の方は多義的です。人間の手は、それ一つで、包丁の柄を握ることもあれば、子供の頭を撫でることもあり、ひもを結ぶことも、ピアノを弾くこともあります。


義手や義足を「道具」として捉えるなら、目的に最適化された、一義的なものであるべきです。当然、機能もデザインもそれに奉仕します。
義足であれば、まず第一に、歩くこと。ところが、歩くという目的にさえ適っていれば十分かといえば、そうではありません。階段やハシゴを登るとか、正座するとか、踊るとか、泳ぐとか、あるいは、その美しさで人を魅了するとか、好きな人に膝枕をしてあげるとか、足は本来、非常に多義的です。
この人間が製作するものでありながら、一義的な道具ではなく、多義的な身体でなければならないというところに、義足の課題があります。


これは、義足に限らず、ロボットの身体についても言えます。自動車の組み立て用ロボットは、見学に来た子供の頭を撫でたり、飛んでいる蚊を叩いたりすることはできません。ロボットの手足が、道具ではなく、身体であるためには、ポテンシャルとして、どれくらい多義性があるのかがカギになるでしょう。


『かたちだけの愛』で、女優を登場人物にしたのには、色々な理由があります。
女優の身体は、もし道具であるなら、「演技する」ということに一義化されるべきですが、その場合、模倣されるのは、多義的な誰かの身体です。その複雑さに面白さがありますが、同時に当然、身体である以上、それは常に、日常の中で、「演技する」こと以外のあらゆる目的に対して多義化します。
その際に、美が強く介在する人の多義化の仕方は独特です。そして、その多義化のあり方が、メディアを通じて、常に不特定多数の人に向けて可視化されている、というのもまた独特です。
スポーツ選手や女優といった人たちの恋愛スキャンダルには、同じ一つの身体が、他方では恋愛という目的も持っているという、当たり前と言えば当たり前のことに対する興奮が潜んでいます。
『かたちだけの愛』を「分人主義三部作」の最後に据えたのは、人格の分化と、この身体の多義化との重なり合いを、一度、丁寧に考えたかったからでした。
もちろん、「愛」がテーマですから、こんな無骨な書き方はしてませんが(笑)。


道具は一義的だと言うけれど、ガジェットは多義的じゃないかと言う意見は、正鵠を射ています。見方を変えれば、あれは、身体の多義性の反映です。
その意味では、電子書籍に特化した端末は一義的な道具ですが、iPadのように色んなことが出来るものは、その分、身体の多義性により対応しているとも言えそうです。それは同時に、分人化にも対応している、ということですが。