『決壊』刊行にまつわる諸々


仕事で一週間ほどフランスに行っていたので、更新が遅くなってしまいましたが、おかげさまで、6月27日に無事、『決壊』が刊行されました。

新潮社の特別サイトで、僕の短い動画のメッセージが見られます。
いきなり始まりますので、音量にご注意を。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/426007/


それから、先日お知らせした丸善丸の内本店の他に、北九州市のブックセンタークエストでもサイン会をします。『決壊』では、東京、京都、鳥取、宇部etc...と様々な土地が舞台になっていますが、北九州は、その中でも一番重要な場所の一つですので、地元の方にも読んでいただけるとうれしいです。身近な場所が色々と出てくると思います。


日時 2008年7月5日(土)14:00〜
会場 ブックセンタークエスト 小倉本店
北九州市小倉北区馬借1-4-7)
詳細 ※要整理券
お問い合せ先 ブックセンタークエスト 小倉本店(093-522-3914)


昨日は、フランスから帰国してすぐに三島賞の受賞パーティに出席しました。
文学関係のパーティに出るのは、『日蝕』で芥川賞を受賞した時以来です。

そこで、装幀家の菊地信義さんに初めてお目にかかって、直接、今回のお礼を申し上げることが出来ました。
色々とお話をさせていただいたのですが、菊地さんが『決壊』のゲラをお読みになって、今回は、菊地さんご自身も大きく寄与されてきた日本の出版物独特の装幀デザインの歴史を、改めて「決壊させる」という強いモチベーションを持って仕事に取り組まれたということを伺い、本当に感激しました。
作家は、基本的には独りで仕事をしますから、なかなか、こういうコラボレーションの手応えを感じられる機会はありません。
特に昨年は、大江さんの「おかしな二人組」三部作の特装本のように、「形」に拘るという仕事をしたけれども、今回は、この小説のタイトルの強さを出すために、帯の形状と併せて、もう一度、タイポグラフィの持つ力に立ち返ったデザインにチャレンジしたかったとおっしゃっていて、聴いていて、なんというか、ちょっとジンと来ました。


装幀に関して、もう一つ画期的なことは、本の小口の部分がすべて黒く塗られていることです。
既に購入された方はお気づきかと思いますが、これ、読んでいると、ページの端の方がうっすらと汚れてくるんです。視覚的なインパクトは勿論、菊地さんがおっしゃるには、この小説は、読者も自分の手を汚しながら読むべきだ、という考えから、敢えてそうしたとのことなのですが、実際に本を読んでいて、興味深い発見がありました。


よく「手に汗握る」と言いますが、『決壊』を読んでいると、ページが汚れやすい場面と汚れにくい場面とがあることに気がつきます。つまり、読み手の緊張感が高まって、手に汗がにじんでくると、小口を押さえている親指にインクがついて、ページの端が汚れてしまう。非常にアナログな原理なのですが、これは、読者が本を読み進めていく時の自律神経の動きを、1ページごとに記録してゆく装置になっているわけです。


僕は、自著ですし、ゲラで散々読んだので、本では全部を読んでいませんが、既に読み終わった方は、あとでページを捲ってみると、どの辺りで自分が一番、「手に汗をかいて」読んでいたかというのが、指紋とともに分かるのではないでしょうか。


一冊の本を、人はそうしていつも、感情を激しく揺さぶられながら読むわけですが、それをオートマチックに記録してゆく方法は、これまでありませんでした。が、『決壊』に関しては、5年後に本を開いたときにも、自分が初読に際して、どこに一番、心を動かされていたかが分かると思いますし、その推移をたどることもできるでしょう。最後はずっと、ページが汚れっぱなしだったとか、小口が白くなっていたとか。読んだ人が亡くなってしまったとしても、彼がこの本を読んでいた時の生の痕跡は、紙の上に残り続けるのです。
そうして、新品で買った時とは違った、一人一人の個性的な一冊が誕生する。この本が本当に完成するのは、その時でしょう。

あるいは、図書館で『決壊』を読む人は、他の人たちが、どの辺りを「手に汗をかいて」読んでいたかが分かると思います。100人が図書館で『決壊』を読んだあと、その汚れの分布に、一つの傾向が見られるのかどうか、検証してみると面白いんじゃないでしょうか。


もちろん、親指が汚れるとは言っても、インクがうっすら付く程度ですので、これまたよく出来ているのですが、それこそ、その都度ページの端でぬぐわれていくので、実際にはほとんど指にあとは残りません。


『決壊』は、ネットと現代人との関係もテーマになっていますが、菊地さんの装幀は、ネット時代に本という形で小説を読むことの意味を、改めて先鋭的に問いかけていると思います。パソコンのインターフェースが、人間の自律神経の動きをプログラムに自動的に記録し、フィードバックさせるまでには、まだまだ時間がかかるでしょう。というか、そういう発想のヒントになったと思います。ただし、本の良いところは、その自律神経の動きが、飽くまで、プライベートな、自分だけの大切な記録として手許に残ることであり、ネット上でデータ化されて、マーケティングに活用されるようになるという想像には、おぞましさもありますが。