連載という書き方

『決壊』を連載していてつくづく感じるのは、読者がページを捲る際の一番の推進力は、結局のところ、「知りたい」という欲求なのだということです。これはまぁ、エンターテインメントの基本で、テレビを見ていると、いいところでイチイチCMが入って、うっとうしいことこの上なしですが、消してしまうかというとそうでもなく、ザッピングでもしながら、やっぱり、CMあけまで待ってしまいます。もちろん、あんまり度が過ぎたり、くだらなかったりすると、見るのを止めますけど。

最近、色々な人から『決壊』が今後どうなっていくのかということを尋ねられます。言いませんけど(笑)、そんなふうに興味をもって読んでもらえていることはうれしいです。

僕はつい、小説をタブローのように、全体を見渡しつつ、無時間的な空間の中で書いてしまうのですが、今回は、連載ということもあって、出来るだけ読者と併走できるように、あまり厳密に細部まで決定しないまま書き進めています。
最初、これだけの大作なので、その書き方に不安があったのですが、今のところ意外と困難を感じません。読者が面白いと言ってくれているのは、この「併走感」なのだろうと思います。

サルトルは、モーリヤックに対していわゆる「神の視点」批判をしましたけど、あれは彼の実存主義から出てきたというよりも、そういう書き方だと、読者のワクワク感が削がれるじゃないかという、実作者らしい経験が語らせた言葉だという感じがします。