いつまで経っても「天才」!

前回のエントリーが、かなり弱々しい内容だったので、たくさんの方から励ましの言葉を戴きました。人のあたたかみが身に染みる今日この頃です。
どうも、ありがとうございました。ご心配をおかけしましたが、もうすっかり元気です。元々、単なる風邪だったのですが、普段が健康そのものなので、たまにヤラれるとこたえます。。。

で、土曜日までになんとか「決壊」の連載原稿を仕上げて、日曜日は「さいたまスーパーアリーナ」まで、スティーヴィー・ワンダーを聴きにいってきました。因みに僕は、けっこう年季の入った格闘技好きで、PRIDEは初期からほぼすべて会場で見ていて、「さいたま新都心」には何度足を運んだことかしれませんが、音楽のライヴで行ったのは、これが初めてです。

で、タイトルは、もちろん、スティーヴィー・ワンダーのことです。
いや、もう、圧巻! 『INNERVISIONS』や『TALKING BOOK』といった、個人的には一番好きな頃の傑作アルバムの曲から始まり、あとはもう、ヒット曲のオン・パレードで、途中、「GIANT STEPS」まで披露するサーヴィスっぷりのあと、最後は、久々の「おお、これはいい!」的アルバム『A TIME TO LOVE』の中からの佳作「SO WHAT THE FUZZ」を経て、「やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……」(『あなたが、いなかった、あなた』)でも取り上げた「AS」でおしまい、という、何というか、あ〜、満たされた、満足満足、といった感じのコンサートでした。

それにしても、スティーヴィー・ワンダーほど、子供の頃から、ずーっと変わらず文句のつけようのない天才、という人は珍しいですね。
彼の音楽を聴くと、「表現したいこと」と、「表現されたこと」とが、本当にぴったりと、しかも即時的に一致している印象を受けます。真円を描きたいと思って、コンパスを回したら、真円が描けた、というような当たり前さで、こんな音楽をやりたいと感じて、楽器を弾いたら、その通りの音楽になっている、というような印象ですかね。

大体、芸術家と作品とは、非対称的で、その両者の間の過不足が良くも悪くも興味深かったりするのですが、スティーヴィーの場合、彼がそのままイコール音楽で、音楽がそのままイコール彼だという感じがします。

コンサートについて、強いて不可能な贅沢を言えば、アリーナではなく、ブルーノートくらいの規模のハコで聴きたかったな、というのはありますね。

そういえば、当然すぎてバカげた感想ですが、さすがに耳が良いなと音楽以外で感心する場面がありました。アリーナの一番奥の方から「I love you, Stevie〜!」とか、女の子が声をかけたんですが、彼はそれに極自然に、その辺から話しかけられたかのようにリアクションしました。
たまたま僕の後ろだったのでよく聞こえましたけど、ステージ近くでもぼーっとしてた客には彼女の声は聞こえなかったかもしれません。
ジョン・ケージに「4分33秒」という有名な作品がありますけど、スティーヴィーみたいに、周囲の音を何でも「音楽」としてキャッチしてしまう耳を持っている人は、ステージ上で聴衆に向かっているときは勿論のこと、日常生活そのものが常に「4分33秒」状態なんでしょう。

とにかく、良いライヴでした!
僕は同行者と、「いやぁ、天才!」、「ホント、天才!」と、ホクホク顔で語り合いながら帰ってきました。