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健康は、ありがたいです、ホントに(←しみじみ) 

土曜日の丁度「つながるテレビ@ヒューマン」の放送後あたりから体調を崩してまして、日曜日の国立新美術館での講演のあと、いよいよどうしようもない状態になって、連休明けにすぐに病院に行ったのですが、お陰で昨日くらいまで、仕事は全然進みませんでした。『決壊』の締め切り間近なのですが。

それにしても、『葬送』を書いていた時にも、「病」については散々考えたんですが、痛みや苦しみというのは、本当に人間を完全に奪い去ってしまいますね。今回は、まずお腹に来て、そのあと高熱に襲われたんですが、とにかく人生で経験したことがないくらいヒドい頭痛で、大袈裟でなく、「割れそう」という表現がピッタリな感じでした。

僕はその間、まったく何にも考えられませんでしたし、人に対する気づかいも、礼儀も、あと、病院に行くために外出する際の見てくれも、とにかく、何もかもがどうでも良くて、ただ楽になることだけを考えていました。

そんなことを改めて意識したのは、先日亡くなった日本テレビの元女性アナウンサーが、線維筋痛症という病気を患っていたと知ったからです。この病気は、原因不明の激痛が一生涯続くというもので、テレビでインタヴューに応じていた患者さんの話では、「ガラス片が体中を駆けめぐるような感じ」なんだそうです。

僕は亡くなった元女性アナウンサーとは特に面識はありませんでしたし、自殺の動機は詮索しませんが、そういう過酷な痛みに苛まれながら、自分を自分として保つというのは、本当に大変だなとつくづく感じました。

僕の方はというと、病院に行って薬をもらうと、これがまたテキメンに効いて、病は気からとは言うものの、実際はまったく即物的な話なんだなというのを今更のように痛感しました。まぁ、気も大事ですけどね。

ちなみに、今回は、飛び込みのクリニックで看てもらったのですが、そこは院内処方ですぐに薬を出してもらえて本当に助かりました。医薬分業というのは、理念としては分かりますけど、インフルエンザなんかで死にそうになりながら病院に駆け込んで、そのあとまた、処方箋片手に病院を出て、薬局を探してウロウロするというのは、ナンセンスだと思います。どうにかならないんですかね、この仕組みは?