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Youtube、以前以後

 去年は、ジャズ批評家の小川隆夫さんと『Talkin' ジャズ×文学』(平凡社)という対談本を出したのですが、これが好評で、目下、第2弾となるプロジェクトの準備をしています。で、マイルス・デイヴィスが敬愛してやまなかったボクサー、シュガー・レイ・ロビンソンの試合のビデオを探していて、格闘技関係の知人に当たってみたりしていたのですが、なかなか、まとまったものを持っている人に辿り着かなくて、どうしようかなと思ったりしてました。が、不覚にも、その段になって、ようやく、「あ、Youtubeにあるかも。」と思い、検索してみたら、「普通に」ドサッとありました。 http://www.youtube.com/results?search_query=Sugar+Ray+Robinson
 いやぁ、ホントに便利な世の中ですねぇ。素晴らしいです。

 刊行間近の『ウェブ人間論』は、もともと、文芸誌『新潮』に掲載された対談をベースにしているのですが、その時には間に合わなくて、新書化に際しての対談でどうにか言及できたのがYoutubeでした。

 新しい技術が登場すると、それ以前に、その分野で行われていたことが、本来はその新技術でこそなされるべきだったというような一種の錯覚的な発見をするものです。自動車を組み立てるような工業用ロボットが登場すると、それが担うことになったような単調な労働は、本来的に人間ではなく、ロボットのなすべき仕事だったという感じがしてきます。もちろん、現実にはその逆で、人間がやっていたことをロボットが取って代わったのですが。

 その意味では、Youtube以前に、本来Youtubeがやるべきであったようなことを、無理矢理テレビでやってたというような試みが幾つか思いつきますね。
 「さんまのからくりTV」のように、おもしろホームビデオを流している番組、「カメラがとらえた決定的瞬間」(とかでしたっけ?)みたいに、プライベートビデオ+世界中のテレビ局で放送された衝撃映像を集めた番組、それから、「昔懐かしの名場面」みたいな、アイドルの昔の姿だとか、懐かしいドラマの一場面などを局のVTR資料室から引っ張り出してきて流していた番組、等々。こうしたテレビ番組は、今後、「Youtube以前のYoutube的なもの」という文脈で語られるようになるのではないでしょうか。

 勿論、Youtubeの映像は、もっと多様で、無名の映像作家の秀作を含め、テレビとの関連だけでは語りきれないものですが、逆にテレビは、アクチュアルな意味でも、歴史的な意味でも、最早Youtubeと切り離された形では語り得ないでしょうね。