ドナルド・キーンさんと対談

 昨日、というか、もう一昨日ですが、新宿文化センターでドナルド・キーンさんと対談しました。といっても、僕はほとんどインタヴュアーのような感じで、企画の趣旨に添って、主に三島由紀夫についての個人的な思い出なんかを伺ったんですが。

 キーンさんとは初対面だったのですが、会場入りが早くて、出番までに二時間半くらい雑談していたので、昨日はトータルで四時間弱くらい、お話しさせていただいたような感じです。本当は、オフレコの話の方が面白かった気もしますが、これは大体、どんな対談でもそうですね。

 キーンさんの日本語体験の根源は、二つあって、一つはアーサー・ウェイリーの翻訳から原書へと進んだ『源氏物語』、もう一つは第二次大戦下の海軍時代に、敵の情報分析の一環として翻訳を命じられた死んだ日本兵の日記だったそうです。僕はこの話に強い印象を受けました。これは、人間と言葉との関係の二つの極限だと思うんです。一つは、歴史的、文化的精髄としての洗練を極めた言葉であり、もう一つは、名もない一個人が、限界状況の中で己の実存を賭して書き綴った言葉です。その両方が、彼の日本語との出会いの最初にあったというのは、非常に意義深いことだと思うんです。極論すれば、作家の言葉だって、その両方の間の振幅でしかないでしょう。谷崎の『細雪』みたいなものこそが小説だと考えるか、逆に大岡の『野火』みたいなものを小説と考えるか。

 そうした日本語体験を根本において持っている人を、翻訳者として迎えることが出来たということは、戦後の日本文学にとって、非常に幸福なことだったなとつくづく感じました。