謹賀新年


寒いお正月になりましたね。
子供の頃は、風邪を引くということに対して、まったく無頓着だったのですが、仕事をするようになってからは、本当に用心深くなりました。というわけで、なんとか元気に年を越しました。

年末はギリギリまで、読売新聞の夕刊に連載している『かたちだけの愛』の原稿を書いていたのですが、仕事始めもその原稿から、ということになりました。今は、掲載よりも2ヶ月ほど先を書いています。
今年の前半は、この小説がメインの仕事になります。


他方、年末から予告していた「プロジェクトC」は、EMIから発売される、僕の監修のショパンのCDのことでした(←種明かし)。
第一弾は、2月に発売される二枚組で、曲目、演奏家ともに選りすぐりのベスト盤的な内容ですが、ページの指定入りで、小説『葬送』の各場面にも対応する形になっています。ショパンの音楽に親しむだけでなく、ショパンという音楽家をより深く理解してもらえるように、解説も工夫します。これから書くのですが。。。


第二弾は、同じくEMIから4月に発売される、ショパンの「ラスト・コンサート in Paris」(仮)です。
『葬送』の第二部の冒頭で、1848年の二月革命直前に、ショパンがパリで6年ぶりのリサイタルを行う場面を書いたのですが、その再現CDです。ショパンは、翌49年に亡くなってしまいますから、これがパリでの最後のコンサートになりました。
七月王政期(1830-48)とピッタリ重なるようにパリで活躍した彼が、その時代の終わりと自らのキャリアの終焉とを図らずも一致させることになる、伝説的なコンサートで、曲目は、確定しているものと、不確定のものとがあるのですが、今回は僕の解釈による小説の通りの曲が収録されます。
ショパン好きにとって、ショパン本人の演奏を聴くというのは、永遠に叶わない夢ですが、小説とCDとで、どうぞ思いきり、想像を巡らせてください。


今年はショパンの生誕200周年ですが、『葬送』とこの二点のCDがあれば、一年間をかなりエンジョイできるはずです。

タクシーの中での与太話


年末の渋滞に巻き込まれたタクシーの中で、運転手さんから聞いた話です。


運転手:「いやぁ、男って悲しい生き物ですよ。」
僕:「何ですか、急に?」
(以下、その順番)
「この前、夜、歌舞伎町でお水の女の子を乗せたんですよ。」
「ええ。」
「行き先聞いたら、町田って言うんですよ。」
「へぇ。」
「それで、店のお客さんらしい男が、見送りに来てて、『運転手さん、幾らくらい?』って訊くんですよ。で、そうですねぇ、なんつってたら、女の子が自分で、『いつも、2万円くらいだけど、……』って言って、私に目で合図するんですよ。」
「ほぉ。」
「そしたら、その男もカッコつけちゃって、『じゃあ、足りないといけないし、これで』って、2万5千円渡したんですよ。」
「このご時世に。」
「フツーのサラリーマンみたいな、まあ、40代ですかね、見た目的には。そんな人ですよ。」
「それで?」
「それで、こっちも、ラッキーと思うじゃないですか、町田だから。」
「そらそうですよね。」
「ね、そう思うでしょう?」
「あ、分かった。新宿駅まででいいとか言うんでしょ、電車で帰るからって。」
「いや、それならまだ良いですよ。ワンメーターだけ乗って、そこの角曲がってって言うんですよ。歌舞伎町ですよ、まだ。で、ケータイで誰かと話してるんですよ。『着いた、着いた!』とか言って。」
「(笑)」
「で、ワンメーターなのに1万円渡されちゃって、これしかないのーって、これがまたかわいい顔で言うんですよ。それで私も、あー、良いですよー、なんつって、9千幾らおつり渡して。そしたら、次に乗ってきたお客さんが、また万札で。」
「本当は、その子も、中野坂上あたりに住んでたりしてね。」
「いや、もっと近くなんじゃないですか。歩いて帰れるくらい。」
「押しかけられても困るでしょうしね。自己防衛の意味もあるんですかね。」
「頭いいんですよ、男より。」


……と、そんなような話でした。
若干、ネタっぽいですけど、似たような話はあるんでしょう。
それにしても、最後まで聴いても、もうひとつ、冒頭の「男って悲しい生き物」につながらないような……(笑)

電子書籍としての小説


サイン会などで、よく、もっとブログを更新してください、と言われるのですが(笑)、twitterは、なぜかほとんど毎日、続いています。https://twitter.com/hiranok 
仕組みが分からないと、見づらいと思いますが、僕は解説書を読んでよく分かりました。


ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)

ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)


瀬戸内寂聴さんがケータイを始められた頃、メールを初めとする諸機能を楽々使いこなされているので、失礼ながら、スゴイですね、と言うと、説明書を最初から最後まで全部読んだとおっしゃってました。「わたしは小説家だから書いてあるものを読めば分かるのよ。」とのこと。
ネット上にも、今はtwitterの解説は色々ありますが、やっぱり本の形になっていると理解しやすいです。


来年は、電子書籍元年となりそうな雰囲気で、出版業界は激動の時代に突入しています。11年前、デビューした頃には、まさかこんな時代が来ようとは、想像だにしていませんでした。
今年のフランクフルトのブックフェアでは、各国の出版関係者を対象に、電子書籍の売り上げが、紙の本の売り上げをいつ上回るかというアンケートが行われたのですが、結果は、「2018年」という予想でした。先日来日した、ロシア人作家のオリガ・スラヴニコワさんは、ロシアでは10年後(2019年)と言われている、と話してましたが。これを早いと感じるのか、遅いと感じるのかは、どの業界にいるかで随分と違うと思います。
僕自身は、もっと早く進むような気もしていますが。


小説は、もし完全にネット上の存在になるとすると、外部リンクだとか、BGMだとか、挿絵的な画像や動画の添付だとか、出来ることは無限に広がりますが、逆に収拾がつかなくなるでしょうね。そういう諸々の要素を、プロットだけがつなぎ合わせている作品が出てくると思います。
長期的に見れば、単に今の紙の上での小説の形を、そのままウェブ上に移し替えるだけには止まらないはずで、特に、最初からウェブ上で小説を読み、書く習慣が身についた世代が作家になる頃には、七面倒くさい情景描写をするくらいなら、画像貼った方が早いじゃんと思う人も出てくるでしょう。まあ、それは、いわゆる「小説」というカテゴリーとはまた別のミクスチャー何とか、とか呼ばれるのかもしれませんが。


実際、小説家のコラボレーションのあり方として、映画のような二次使用ではなく、最初から映像作家やミュージシャンと一緒に、物語と映像、音楽とが一体になった作品を作るという可能性はあると思います。今のアニメともまた違った、「総合芸術2.0」みたいな。あと、ネット上の画像や動画を拾い集めてつなぎ合わせた、マックス・エルンストの一連のコラージュ作品(『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』や『百頭女』)みたいなのとか。もうあるのかもしれませんが、よほどのクオリティじゃないと、感心されない気もします。
詩的に美しい作品を見てみたいものです。


僕は、基本的には文章の小説家であり続けますが、今のプロジェクトDみたいに、並行してそういうことが出来れば、それはそれで楽しそうです。ウェブ・マガジンの企画なんかで、すぐにでも持ち上がりそうな話ですが。

対談@『新潮』、鼎談@『文學界』


先日、ポーランド大使館でショパンについての講演をしてきたのですが、ピアニストの方と会うと、『葬送』の感想を聴かせてもらうことが多くて、あれは本当に愛されている作品なんだなとしみじみ感じます。作家冥利に尽きます。分厚いですし、読者を選ぶ小説ではありますが。


僕の前に講演したポーランド人のヨランタ・ペンカチュさんは、当時のパリのサロンの中でも、ショパンがどの辺に出入りしていたかというようなことを詳細に研究されている方で、話が合いました。僕のその辺の知識は、アンヌ・マルタン=フュジエの『優雅な生活』という本に負うところ大なのですが。19世紀のパリに興味のある方は、ご一読を。分厚いですけど、面白いです。


昨日は丸一日、プロジェクトCのために、ものすごく真剣にショパンを聴き続けて、さすがにくたびれ果てました。
セレクションという作業は、本当に難しいです。この前のアナ・ウィンターの映画でも、正直、どっちでもいいような二枚の写真を、ほとんど根拠も示さずに、これはダメ、こっちはOK、と決めていくところに妙に感心しました。彼女はそれで、雑誌を1000万部も売ってるのですから、誰も何も言えないわけですが。


プロジェクトDの方は、僕はノータッチのまま、着々と進んでいます。
森野和馬さんのブログでも途中経過が見れます。http://d.hatena.ne.jp/kazumaM/
かなり、かっこいいです。この時点で、何の「D」か、お分かりの方もあると思いますが。
完成が楽しみです!


文芸誌の新年号では、『文學界』で、西垣通さん、前田塁さんと、「テクノロジーと文学の結節点」という鼎談をやってます。西垣さんの『基礎情報学』という本には、僕は随分と影響を受けました。


『新潮』では、東浩紀さんと「情報革命期の文学」という対談をしています。
テーマが近いので、若干被っている内容もありますが。
東さんとは、デビューは同じくらいですが、実はお会いしたのは初めてです。
目下、非常に重要だと考えていることについて話したのですが、同じ号に掲載されている大江健三郎さんと古井由吉さんの対談を読んで、あと35年も経つ頃には、自分もこんな対談が出来るようになっているのだろうかと、考えさせられました。そういう意味では、今、僕の中には、文学を外側に開いていきたい気持ちと、文学に内向したい気持ちとの矛盾があります。結局、どっちも必要なのですが。


他方で古井さんが最近出された『人生の色気』という本を読むと、驚くほど的確に、今、文学が直面している困難が、環境の側から指摘されていて、頭が下がりました。当然といえば当然なのでしょうが、古井さんは携帯電話もパソコンもお持ちでないにもかかわらず、認識としては、我々が『新潮』で対談した内容と、けっこう重なる部分がありました。


来年に向けて、課題山積です。

ツイッター始めました。


これです。


https://twitter.com/hiranok


しばらくは、ゆるりとやっていきます。
もちろん、ブログも続けますが、僕の日々のよしなしごとにご興味のある方は、あわせてご覧ください。
創作メモとしても、使っていこうと思ってます。

時差ボケその他


ダブルケイイチロウ対談@ABCは、お互いに創作のことを色々と話し合えて、かなり有意義でした。
ほとんど、クローズドな雑誌対談のように、好き放題に喋ったので、聴いていた人が面白かったのかどうか、やや心配ですが。
リニアな作品の時間の流れの中で、それぞれの瞬間を任意に輪切りにした時に、断面をどれくらいきれいに出来るかというようなところに関心が集中しました。僕はどうしても、シーツ・オヴ・ワーズの小説家なので、情報量のコントロールやプロット・ラインの濃淡、終局に向かって伸びやかに前進する運動と、どうしても干渉し合ってしまう、奥に向かうパースペクティヴの深浅の加減など、『ドーン』みたいな小説では、調整に苦心しました。
まだまだ道半ばという感じです。
『かたちだけの愛』を単行本化する時には、余白の作り方に工夫が必要そうです。


先週はとんぼ返りでハワイに行ってました。
妻が伊東美咲さんと仲良しなので、僕まで結婚式にご招待いただいたのですが、それはそれはお美しかったです。
滞在中、急激に円高が進んで、若干恩恵は被ったのですが、来年の経済のことを考えると素直には喜べません。
今回は、帰国後の時差調整に失敗して、昨日までなんとなく時差ボケが残ってました。


行き帰りの飛行機の中で、ずっとプロジェクトCのために、久しぶりにサンソン・フランソワのショパンを聴いていたのですが、キーシンみたいに、音符の玉が、どれもピカピカに磨き上げられて、黒々と光を放っているような演奏のあとでは、あのアナログっぽい、不揃いの音符の玉が、所々かすれたりしながら急に輝いたりする演奏がなんとも心地よくて、ショパンってやっぱり、こういう手触りの音楽なんじゃないかという気がしました。昔は、フランソワのやりたい放題は好きじゃなかったのですが、今はその古き良き時代の自由さが貴重に感じられます。


ポリーニアルゲリッチの世代のあと、誰のショパンを聴くべきかという話ですが、キーシンはやっぱり卓越してますね。感動するというより、説得される感じですが。ソナタの2番とか聴くなら、ポゴレリチの方が面白いんですが、アレが、ずっと聴いててそのうち飽きてくる演奏なのかどうかは、まだよく分かりません。


昨日は、「ファッションが教えてくれること」を新宿のバルト9で観たあと、歌舞伎町のロフト・プラス・ワンで、「薬師寺vs辰吉★15周年記念 伝説復活!薬師寺保栄トークライブ」という、友人がプロデュースしたマニアックなイヴェントに行ってきました。あの試合は、大学1年の時に見たのですが、今振り返っても本当に感動的な試合でしたね。
ご本人の解説&脱線トークが絶妙でした。
アナ・ウィンターの話も書こうと思ったのですが、長くなったのでまたそのうち。


東京は、今日はいい天気です。
時差ボケ後、まっとうな人間の生活時間帯に戻ってます。

ダブル・ケイイチロウ対談


久しぶりにジムに行ったのですが、ものすごい喘ぎ声を上げながら、大胸筋を鍛えるマシンを使ってるオジサンがいて、ハッキリ言って、うるさかったです。よっぽど言ってやろうかと思ったんですけど、まあ、それもやりすぎかなと思って、そのままプールに行きました。
自分に気合いを入れているというより、外向きのアピールとしか思えないんですけどね。
ヘンなナルシシズムを感じました。


……と、書きながら、この程度の話は、twitterで呟いておけばいいのかなと思ったり。そろそろ、始め時ですかね。。。


さて、それはそうと、タイトルですが、音楽家の渋谷慶一郎さんと、11/21日に青山ブックセンター本店で対談することになりました。


http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200911/atak015_for_maria_20091121.html


音楽に興味のある方、文学に興味のある方、あるいは、「ケイイチロウ」という名前に興味のある方(!)、どうぞお越しください。僕も、彼と対談できるのを楽しみにしています。実は、ちょっと前からの友人です。


「ケイイチロウ」で思い出しましたが、表参道にある「COLORS」という美容室に、「平野啓一朗」さんという方がいらっしゃいます。 http://www.colors-hair.com/staff/mens/post_17.html


僕はお目にかかったことはないんですが、二、三度、雑誌のインタヴューか何かのあと、ギャラの振り込みで編集者が混乱して、初めて存在を知りました。
あと、蜷川実花さんだったか、誰だったかの写真集にクレジットがあって、それを見た友人が、「お前も色々やってんなぁ。」と勘違いしていたことがあります。んなわけないだろと言いましたけど。もちろん、僕じゃありません。


調べてみると、「Vogue」なんかでも仕事をされているすごい方なんですね。
同姓同名(一字違い)というだけで、勝手に誇らしいです。


http://www.dwmanagement.co.uk/keiichirohirano/index.html


一度、COLORSに髪を切りに行ってみようと思ってるのですが、まだ実行してません。
なんとなく、予約の電話が恥ずかしいような。。。